読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (軍隊での「貸し」と「借り」)

「私は無事にツゲガラオについた。町は完全な廃墟で、住民は四散していたが、幸い自転車屋兼自動車修理屋のEも、その弟の時計修理屋のAも、カパタンという部落に疎開していることがわかった。


この部落は前にも書いたが、一村こぞって鍛冶屋である。車が通じない所なので、私はA上等兵と二人だけでそこまで歩いた。
すでにゲリラ_彼らの言い方に従えば「ゲリリヤ」_の勢力範囲に入っているのかも知れぬが、民衆は心底ではゲリラを徹底的に嫌っているから、こちらが「トモダチ」である限り絶対に心配はない。民衆の自然発生的な暴動とゲリラとは別ものである。」



「補給はもう完全に絶たれている。断末魔の友軍への最後の補給は、硫黄島でもルソン島でも、輸送機による医薬品の補給である。台湾とツゲガラオは飛行機にとっては目と鼻の距離だから、おそらく台湾から、夜間か夕刻を利用して空輸が行われていたものと思われる。


ところがアメリカ軍がこれに気づき、ロッキードの夜間攻撃機をツゲガラオ飛行場の上空に待機させていた。そして着陸姿勢に入った所を上から銃撃する。輸送機は一瞬にして火を吹き、空中分解を起こして機体と積載品をばらまきつつ、火の玉が飛ぶような形で墜落する。それを見るとこのEもAもすぐさま駆け出して行くわけであった。


カガヤン川の川原ぞいに、ほぼ帯状の一直線に、さまざまな物資が散乱しており、彼らは丹念にそれをひろい集めていたのであった。彼の小屋の奥には、飛行機のバッテリーから防弾ガラス、配線、医療品などが山積みされていた。(略)



私の本当の目的はF軍曹に会うことであった。そこでEとの取引をすますと、翌朝すぐに野戦病院へ行った。川原の近くのヤシ林に隠してあるトラックのまわりで自炊をしていたわけだが、私はみなにまる一日の「大休止」、ただし現位置を離れるなと申し渡し、どうしてもついて来るというA上等兵を押しとどめ、ただ一人、廃墟のツゲガラオを横切って、北のはずれにある小さな学校へと向かった。


ただ野戦病院はすでに閉鎖され、歩ける者は強制退院で部隊に帰されたという噂であった。(略)



いくつ目の部屋か憶えていない。その部屋はドアがなかった。入口の敷居に立つと、二列の空のベッドの中央よりやや窓に近い所に、ただ一人横たわっている人影が見えた。その人は、上半身裸体で、胸には分厚く大きく繃帯をまき、下半身には灰色の軍用毛布をかけ、私に気づかず、放心したように窓から空を眺めていた。



F軍曹であった。私はそのとき唾を呑み込んだのを憶えている。そしてそのまま黙って立っていた。どれくらい時間がたったかわからない。人の気配を感じたのであろうか、彼はくるりと私の方を向いた。



二人の視線が合った瞬間、彼は不意に右肘をついて無理に上半身を起こすと、右の手のひらを大きく広げ、二人の視線をさえぎるような形で私の方へ突き出した。これはおそらく反射的な行為で、「来るな」「近寄るな」といった意思表示ではなかったかと思うが、一瞬私はそう解釈し、むっとして、無言のままつかつかと入って行き、黙って彼の枕頭に立った。



彼は私を無視するように、顔をそむけてまた空を見た。同じ下士官でも、彼はS軍曹やO伍長と違って乙種幹部候補生の出身、当時の典型的な、線の細い大学出の「都市インテリ」であった。(略)


丸顔で目が丸く、態度・物腰のすべてが、富裕な家庭の生れで、何の不自由も知らずに育ったことを示していた。戦争がなければ、生涯おそらく「下士官」には縁のない人だったであろう。(略)



沈黙の圧力に耐えかねたように私が口を切った。
「誰が勝手に車をまわした」その瞬間彼は私に顔を向け、あの「ウス笑い」を浮かべた。
そして「笑い」が消えると同時に言った。
「少尉殿、二人を殺したのはアナタです」



この「アナタ」という非軍隊語も異常だったが、この「笑い」と彼の言葉が私を激怒え、重傷者に大声を出す結果になった。「何を言うかッ。司令部で勝手に車をまわしておきながら_言え。だれの指示だ」



私は彼の言葉を責任逃れないしは隠蔽と受け取ったわけだが、考えてみれば、彼にはそういうことをいったこの世の体制への配慮は一切消えて、この世の外から、いわば「死者の位置」に非常によく似た位置から、この体制を眺めていたはずである。


この点、便乗を拒否した兵士に似た位置にあったのだろう。私の激怒は、かえって彼を落ち着かせたように見えた。


彼は静かに言った。「T中尉殿から少尉殿へ電話があったと思いますが…」「ナイッ」「そうですか」、彼は落ち着き払って続けた。「では電話が通じなかったのでしょう……S軍曹は、命令以外のことは出来ないとはっきり拒否されたのです。するとT中尉殿が、「山本のヤツには貸しがある。オレが電話をすればイヤと言えるはずがない」と言われました。


そして「すぐ電話して承諾をとる。ぐずぐずすれば危険は増すだけだ」と言われました。S軍曹はちょっと考えていましたが「では行きます」と言われ…」
後の言葉は耳に入らなかった。独歩の車を独断で曳行したための前夜のことと、「貸し」という言葉が頭の中をくるくるとまわった。


S軍曹にしてみれば、何の「借り」もないのに私自身が前夜に他部隊の車を曳行したのだから、「借り」があれば当然私が拒否しないと思ったであろう。
それが原因だと言われれば、私は一言もない。(略)



「貸しとは何だ」。F軍曹はまるで試験の答案を暗記しているように言った。「直訴事件、砲弾返納事件、乗用車事件、燃料事件、集買班事件…」。「それがワシの借りか?」だが私のその言葉には力がなかった。



F軍曹は落ち着いて言った。「乗用車の増加兵器の申請書、あの宙ぶらりんの申請書は、私がまだ預かったままです……あの申請書のことだけでも、どれだけS軍曹も私も苦労した事か……。あの返納事件、あの時には師団の軍医部長まで砲弾をかついだのに砲兵隊は一兵も出さない、……自走砲用だといって強引に燃料を持って行きながら、実際は、肉と野菜の集買に使っている……」



彼は次から次へと「貸し」を述べ立てた。そして最後に独り言のようにいった。「少尉殿は強引すぎる。だから部下がああいうことになる」
「それは違う」私は思わず言った。いつしか攻守が逆になり、追及に来たはずの人間が逆に追及され、釈明を聞くであろうと予期して来た人間が、逆に釈明するという結果になっていた。(略)



「(略)そういうことを司令部で見ていると、砲兵隊は、閣下が砲兵出身なのを良いことにして、あらゆるわがままを押し通しているようにしか見えない。苦しんでいるのはみな同じです。そして最後のしわよせは結局、弱い部隊や所属不明の部隊(遊兵)に行くか、S軍曹やO伍長がかぶることになる」(略)



彼が言ったことは、要約すれば「お前は人殺しで泥棒で詐欺師」だということだが、彼は、その論理を適用すれば、自分たちも同じだったということを知っていた。
彼と静かに別れることが出来たのも、彼がそれを知っていたからであろう。私は病院を出た。全身の力が抜けたように感じた。」