読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (陸軍式順法闘争の被害者)

「「諸君!」連載、児島襄氏の「幻の王国・満州帝国の興亡」を読んでいるうちに、思わず、アッと声を立てるほど驚いた。それは満州事変の首謀者のやったことと私のやったことは、そのやり方の基本図式においては、全く同じだったという驚きである。


もちろん事の大小には天地の差がある。それを問題外とするなら、文字通り「全く同じ」と言わざるを得ない。そして今の社会でこれとそっくりの行き方を求めれば、それは「順法闘争」であり、陸軍式に言い直せば「タテマエ闘争」であろう。陸軍も国鉄も同じくらい古い組織だから、同じ行き方になるのも当然かも知れない。


しかしおそらくこれは陸軍と国鉄だけの問題でなく、「タテ組織」なるものに必然的に生ずる事態なのかも知れない。」





「わかりやすいように、順法闘争と対比しつつ、その行き方の基本図式を説明しよう。まず「絶対にだれにも反対できない大義名分」をかかげる。それは「在満邦人の財産の保護」でもよいし「乗客の安全」でもよい。こういう大義名分そのものには絶対にだれも反対できない。(略)



絶対だれも言わないことだが、もし万が一だれかが「命令など実行しないでいい」とでも言おうものなら、それは「統帥権干犯・天皇否定」になるから、この大義名分の前にはだれも声が出せない。


そこでそれを楯に一挙に既成事実をつくってしまい、作ったら「タテマエ」すなわち「順法」で押し通し、法・規則・規定を自己の目的に副うように正確に順守し、定められた通りにやったまでだと主張することによって、自己の意志を押し通してしまうわけである。」



〇 今の社会に即して考えてみました。
働き方改革」と言えば、誰もが反対できない。
その改革の中で、「高度プロフェッショナル制度」を法律化し、
少しずつ「高度プロフェッショナル」の範囲を広げて行けば、
多くの労働者を残業代ゼロで働かせることが出来るようになる。

一旦法律となれば、法に順じてやっているまでです、と言い張ることができる。

本来なら、こんな詐欺まがいのことを、真っ当な社会人がするのは、
恥ずかしくて出来ないはずなのですが、私たちの国の政治家は、
それを恥知らずだと感じる感覚すらないようです。

情けないのは、その政治家を支持する国民です。もう一度、
どん底に落ちるほかないのか。少しずつ国民性が変わる以外、どんな道もないのでしょう。百年も二百年もかかる先の長い話です。


「だがこの問題の徹底的追及はしばらく措き、ここで自らの行動を振り返るなら、結局私自身の行き方も例外ではなかったということである。
もっとも前述のように、私は西も東もわからぬ「駆け出し」であり、どこへ行っても「子供の使い」に等しかったが、私という「駒」の背後には、無類の「指し手」ともいうべきベテランの部隊長がいた。(略)



一方私は何も知らないから、自分のやっていることが一種の「順法闘争」だという意識はない。指示に基づいて当然のことをやっているつもりだから、そのリアクションを考慮して肌理の細かい事後処理、いわば「借りを返しておく」という配慮が全くない。


従って「めくら蛇」そのもので、やりっぱなしで平然としている。これがF軍曹などには「強引」で「図々しく」時には「傲慢」とすら見えたわけであろう。
だがF軍曹に指摘されて考え込んだときに、さまざまなことにすべて気づきかつ理解したわけではない。


収容所で、折衝した相手の話を聞いたり、内地に帰ってから様々な経験をしたりして、やっと自分がやっていたことの内容が理解できたにすぎない。
だがその発端が、F軍曹の指摘だったことは否定できない。彼に言われなければ、結局私は、生涯何もわからなかったであろう。


上官に向かって「詐欺」だなどと言う者は軍隊には絶対にいない。(略)ただ重症の小康状態で捨てられたに等しい彼には、「この世」の権威も組織も一切眼中になかったことと、もう一つには二人とも幹部候補生であり、一皮むいて一対一になれば共に学生であったからであろう。


これは彼だけでなく、部隊内でも表向きは「少尉殿」とか「✕✕軍曹」などといって敬礼したりされたりしていても、一対一で周囲にだれもいなければ、途端に学生に戻ってしまうのが私にとっては普通であった。」



下士官などが部隊本部へ来て親指を出して「?」という身振りをすれば「部隊長は居るか?」であり、小指なら副官である。副官の地位は、ある面では戦前の「嫁」、中隊長は「小姑」にあたるであろう。


もちろんあらゆるトバッチリは「嫁つきの下働き」に等しい私たちにも来る。何しろみんな命にかかわることだから、時には血相変えて詰め寄るということになっても不思議ではない。そしてその中で最もこまることは、確かに「直訴」であった。



もちろんある中隊長の「直訴」で事態がどう変化しようと、下っ端は一向にかまわないわけだが、しかしそれによって他中隊の不平不満はみんな下っ端がかぶらねばならない。それくらい不愉快なことはない。


私はその「被害者意識」を相当に持っていたが、考えてみれば部隊長の「駒」にすぎぬとはいえ、その指示通り動くことによって、司令部の部付将校に対しては、加害者になっていたわけである。


また、私は確かに下っ端だが、しかしF軍曹に指摘されてみれば、死んだS軍曹もO伍長も私より下であった。そして私自身、中隊長の直訴の結果非常にこまった立場に立たされた時、まことに恥ずべきことだが、その中隊の掛り下士官にあたったことは確かにあった。


とすれば、司令部において、S軍曹やO伍長が非常に不愉快な立場に立たされたことも当然にあったであろう。
F軍曹は言った。「最後のしわよせは最も弱いもの…結局S軍曹やO伍長がかぶる」と。しかし二人は、そういう苦情を私に訴えたことは一度もなかった。それだけではない、どんな苦労があっても二人は何も言わなかった。



O伍長はカワヤンの船着場で、サンホセから運んだ二十二台のトラックに満載した四千発の砲弾をただ一人でおろして積み上げた。いかに彼が強壮とはいえ、これは全く人間わざとは思えない想像に絶する重労働である。



炎天下、全身まるでズブ濡れのように汗をかき、ついに汗が蒸発して塩を顔に浮かせながら、彼は何一つ苦情を言わなかった。その我慢強い彼ですら、「直訴」のとばっちりで身に覚えない苦情を受けた時には不愉快そうであった。


部隊内での「直訴」の常習犯(?)は第一中隊長のS大尉であった。彼が本部に来ると「警戒警報発令!」ということになる。」


「何しろみんな必死である。そしてみながみな実に苦しい状態である。さらに「隣の芝生は青い」は当然の心理だから、一兵にいたるまで、他の中隊が「ウマイコト」をやって自分たちは割をくっているような気になる。」