読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (陸軍式順法闘争の被害者)

〇 この後、山本氏が絡んだ、「抗争事件」について、細かく説明されているのですが、イマイチ、よくわかりません。ただ、前回書いた、「働き方改革」で「残業代なしで労働しなければならない弱者が出る」という絡繰りに似た情況だったのか?、と想像します。

結局、「タテマエ」では、「論理」は「敵」の働きをするようです。
もしくは、相手を欺くための「武器」の働きをする。

「タテマエ」では真っ当なことを言っても、「ホンネ」は、うまくやること。大事なのは、「実」を取る事。自分にとって都合の良い結果になるように、「論理」をうまく使うことが大事だと。

そこには、「論理」で「真実」に行きつこう、という精神は生まれない。

こういう状況を嫌になるほど見続けて来て、結局、必要なのは、もっともっと基本的な、根源的な所の変革ではないか、と思えてくるのですが。

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また司馬遼太郎の言葉を引用します。


【根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして
それを身につけねばならない。
  その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。ああ
痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあ
げていきさえすればよい。
  この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
  君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は
人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない。」

     (「二十一世紀を生きる君たちへ」 より)

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この「訓練」をもっとしっかりやる必要があると思うのですが、私たちの社会は、全然、そっちの方向へ行っていないような気がします。むしろ、ますます、逆の方向へ行っているような気がします。

私たちの国では、総理大臣や政治家が、大っぴらに嘘をついて弱者を虐げながら、そ知らぬ顔をして、無かったことにします。本来そんなことは、許されてはならないはず。でも、それを全国民が知っていながら、なんら糾弾することが出来ない、社会です。

お金を得るためには、なりふり構わず、国民がギャンブル依存症になって、苦しんでもかまわない、という政治家をとめられない社会です。

こんな中で、どんな顔をして、子供たちに「道徳」を教えるのか。



「たしかにこれは結果的には私が原因であろう。だが、いささか自己弁護めくが、事態を決定的に悪化させたのはむしろ「砲弾返納事件」だったと思う。 前にものべたように、サンホセの軍兵器廠からまず砲弾四千発を受領し、カワヤンで軍米の四十トンづみ川船を横取りしてこれに積み込んだ。そしてここで軍米相手に、私はタテマエ闘争をしたわけである。


そのとき、すぐ帰隊せよという命令が来たので、私だけ車で先に部隊に帰った。船がラロにつくには約十日かかる。帰隊と同時に、私は部隊長から「全弾ヲ「ラロ」ノ船着場ニテ師団司令部ニ返納スベシ」という命令をもらった。(略)


部隊長は、何もわからぬ私に親切に説明してくれた。これは「タテマエ」の問題であると。(略)


しかしベテランの「読み」は深く、部隊長の真意は別なところにあり、内心ではすでに一種の「タテマエ闘争」を予定していたと思われる。(略)



私には、否私だけでなく、おそらくT中尉にもそれが正確に読めず、ラロの船着場まで必ずつくとなると、それだけでホッとして、何となく輸送が終わったような錯覚をいてしまったのである。(略)


事務上の手続きは簡単にすんだ。ラロのタバカレラの倉庫を司令部が接収しており、揚陸はそこの人夫がやった。しかし不幸にもそのとき爆撃がはじまった。倉庫は好目標であり、一発当てれば全弾が誘発する。師団長の命令で、司令部の全員が分散集積のため爆撃下に砲弾をかついだそうである。


F軍曹が「軍医部長までも砲弾をかついだ」と言ったのはこの時のことで、噂では「参謀長までも…」であったが、これはF軍曹の行った方が正しいであろう。(略)


部隊長の「タテマエ闘争」であろう。「タテマエ」から言えば、砲兵隊はまだ砲弾の支給をうけていない。その上、輸送は、砲弾であろうと糧秣であろうとこれは輜重隊の任務であって砲兵隊の任務ではない。確かにその通りであって、その言葉にはだれも反論できない。



だが、師団には輜重隊はなかった。編成では自動車隊が一個連隊あり、兵員はいるのだが、船が沈んだためか、後から来るはずの車が一台も来ないのである。結局その兵員ははじめから「遊兵」であった。そして後にはこれらの遊兵群が砲弾をかついで、人海作戦で、トロ道づたいに丘陵地のジャングルまで運んだわけである。



S軍曹とO伍長の墓を掘り起こしてその手足を斬ったあの夜に見た幽鬼の列がそれであった。そして砲兵隊は頑として一兵も出さない。F軍曹などから見れば、まことに割り切れぬ状態だったであろう。



確かに砲兵隊は、砲兵出身師団長の一種の「手元中隊」だったのだろう。そしてわれわれが「手元中隊」中隊長の”横暴”_とは言えないのかも知れぬが_に苦しめられたと感じていたと同じような感じを彼らが持っていたとしても不思議ではない。


これは部隊長の実にみごとな「タテマエ闘争」であった。もちろんラロ揚陸以降の輸送は、段列のない砲兵隊の手に負えない。しかし司令部経由をあくまでも文字通りの「事務上の問題」とするなら、それは書類上だけのことであり、「返納」と同時に「受領」ということになり、実態には変化はないことになる。


だがもしそうなると、砲兵隊が他部隊の協力なしでは身動きできなくなり、そのためには司令部に日参して「陳情」しなければならず、たとえ陳情しても、到底うまくは行かないことは、だれの目にも明らかだからである。



それは部隊長の「タテマエ闘争」を逆にして、こちらが援助を要請する立場に立たされたと仮定すれば、それがどういう状態かは説明の必要はあるまい。どの部隊の部隊長であれ、私の部隊長と同じような行き方をするであろうから。



結局この砲弾輸送はカワヤンにおける軍米の船の乗っ取りという「タテマエ闘争」に始まり、「司令部押付」という「タテマエ闘争」で終わったわけである。そして結局はすべてが、こういう形でしか進捗しないのが、日本軍の実態であったろう。



だが官僚機構においては、こういうことは必ず「シッペ返シ」が来る。それがF軍曹のいった「乗用車事件」である。何度も言うようだが、全軍の滅亡が目前に迫っても、組織というものは、全くつまらないことでエネルギーを消費したり、人を死に追い込んだりするものなのである。



これがいま思い出すと、参謀だ、陸大出の秀才だ、大尉だ、中尉だ、という、兵隊の位から見れば実に「偉い」「偉い」の「お偉いさん」のもつ、小児病的ともいいたいバカバカしい一面を示す、もう書く気がしなくなるほどのつまらない事件なのである。」