読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (捕虜・空閑少佐を自決させたもの)

「従ってもう一度言えば、「この記事は二通りに読めるが、「戦闘行為として読めば虚報であり、戦闘中の行為として読めば非戦闘員虐殺になる」」のである。そしてどちらに読むかによって、二人は「不起訴にもなれば死刑にもなる」のである。



従って、東京法廷と南京法廷における極端な違いの原因は「「戦闘」とも「戦闘中」とも読めるこの記事そのもの」と「軍法」にあるのであって、他に理由があるのではない。そしてこれが、「首狩り」でも「正義の裁き」でもない「軍法会議」と同じ基準だと言った理由である。



南京法廷は、日本の新聞を信頼し、少なくとも一応浅海特派員の記事を「事実の報道」として取り上げた。実は、この瞬間に二人の運命は決まったのである。」




「虚報というのは全く恐ろしいものであり、それが日本人に与えた害悪は、本当に計り知れない。全日本人が欺かれている。みな、知らず知らずのうちにこの記事を「戦闘行為」「武勇伝」として読んでいる。しかし子細に点検すれば、「目的語」が省かれているので、どこにも「戦闘行為」とは明言されてないのである。ただみなが勝手にそう思い込んでいるだけなのである。」



「「百人斬り」で多くの方からお手紙をいただいたが、その中で相当量の多かったものが「中国人とは「白髪三千丈」の誇大表現民族なのだから、「殺人ゲーム」でも千人斬りでも創作するだろう。(略)」と言った一種の投げやり的な手紙である。(略)



しかしこの件に関する限り、「それは違う」とはっきり言っておきたい。原因はわれわれにある_虚報を発し、虚報に感激し、美談への感激やら懺悔やらで自らをごまかし、徹底的に事実を究明せず、すべてを「自決セエ」という形で隠蔽し、公開の軍法会議すら持ち得なかったわれわれの側にある。



というのは少なくとも中国人は、公開の軍法法廷で、白日のもとにこの問題を究明したからである。彼らは虚報を事実だと強弁し、それに迎合同調しない者を非国民として、やみくもに二少尉を処刑したのではない。」




「もちろん、虚報はすべてこの形で、何もかも判然とさせれば、すぐそれが事実でないことはわかるから、常にこういった書き方になる。いわばどんな目的語を挿入しても変になってくるわけで「陣地」に非戦闘員だけが五十五人いて、他にだれも居らず、居てもそのものは手榴弾一つ投げることもせずこれを眺めていたなどという話は、少なくとも体験者には通用しない。


第一、これでは日本刀を少なくとも三十本ぐらいかついで行かねばならない。」



「ではなぜ二人は処刑されたのか。明らかにこの記事のすべてが証拠として成立したわけではない。最後まで問題になり、ついに二人を処刑させてしまったのは「十日の紫金山麓の会見記事」なのである。その部分を引用しよう。



<[紫金山麓にて十二日浅海、鈴木両特派員発]南京入りまで”百人斬り競争”といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士、向井敏明、野田厳(ママ)両少尉は、十日の紫金山攻略戦のどさくさに、百六体百五といふレコードを作つて、十日正午(、、、、)、両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した。


野田「おいおれは百五だが、貴様は?」向井「これは百六だ!」……両少尉は”アハハハ”結局いつまでにいづれが先に百人斬つたかこれは不問、結局「ぢやドロンゲームと致さう、だが改めて百五十人はどうぢや」と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまった>(傍点筆者)



これは致命的である。なぜなら、これは新聞記者の「記述」ではなく、二人の「証言」であり、「自白」の記載だからである。ここが焦点だったことは、向井少尉の上申書にも現れている。



<向井が、富山部隊に担架に乗って帰隊したのは十五、六日だが、それからも治療を受けていたので、東京日日新聞にあるように、十日(、、)紫金山で野田少尉とも新聞記者とも会っているはずがない>(傍点筆者)(略)



では二人を処刑場に送った「十日の会見」は果たして事実なのか。本当に浅海・向井・野田の三氏は「十日正午」に紫金山麓で会見し、浅海氏が二人の会話を取材したのか。否、それは嘘である。その事実はない。これは浅海特派員の創作である。



従って二人は浅海特派員の創作で殺されたのである。


なぜそういえるか_鈴木特派員の証言がそれを物語っているからである。」



〇報道機関や雑誌等がつぎつぎと噓を流すのを、今、目の当たりにしています。
例えば、あの3.11の時も、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を隠しました。

そして、菅元総理が海水注入を中断させたというデマを流し、
その後も、安倍総理は、汚染水はコントロールされていると嘘をつきました。

さらには、森友問題、加計問題等で、明らかに嘘だとわかる発言が次々と
報道されました。

でも、なぜか、それが何?という空気です。
なんら問題がないかのように、ただ時間が流れています。

山本氏は、この日本的な空気をただ黙って見ていられなかったのだろうな、と思います。それで、これほどまでに、何度も何度も、向井・野田両将校の処刑問題を取り上げているのだろうと思います。

それでも、何も変えられない…

今も、日本は、戦前と同じ体質です。

そのことを感じながら日々を過ごしています。