読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (「時代の論理」による殺人」

「結局この事件は、無錫における三人だけの談合にはじまり、十二月十日正午の虚構の会見で終り、これを一つの計画の下に推し進めたのは実は浅海特派員一人で、鈴木特派員も、佐藤カメラマンとその写真も、そしておそらく光本特派員も、すべて、カムフラージュのための材料にすぎなかったわけであろう。そしてそのしめくくりである「十日の会見」という創作が、二人を処刑場へ送ったわけである。



だがここで考えねばならぬことは、当時こういうことをしていたのは、浅海特派員だけではなかったという事実である。


大本営も新聞社も、みないわば大がかりな様々の「百人斬り競争」を報道して国民を欺いていた。私が最初に「一読して唖然とする事実」につきあたったと言ったのはそのことである。



というのは「南京城総攻撃」「大激戦」「城頭高く日章旗」等々はすべて嘘で、「南京城入城」は実質的には「無戦闘入城」いわば「無血入城」であったという驚くべき事実を、自らそれと気づかずに鈴木特派員がのべているからである。



本多勝一氏の記す「十万の中国軍(国富軍)」が二万の日本軍を恐れて戦わずして一斉に逃げ出したなどというのは、全くばかげた話で、十万といえば約六個師団だが、本当に中国側に六個師団もの兵力があり、これの一部が市街に拠点を設けて市街戦を行いつつ別動隊が背後を絶てば、逆に日本側が全滅してしまう。



実際は、日本軍が突入した時、中国軍はすでに撤退を完了して、例によってもぬけの殻だったはずである。


私は前から「十二日正午突入」「十七日入城式」というスケジュールが非常に不思議であった。特に松井軍司令官が乗馬姿で入城式を行ったことは、何とも言えず奇妙に感じていた。というのは、これくらい格好な標的はないからである。



従って有能な狙撃手三名とチェコシュコダ製スナイパー付狙撃銃三艇があれば、六百から八百の距離で、「ダラスの熱い日」は確実に再現できる。妙な言い方だが、これは私にだって出来るからである。さらに潜入は、「ジャッカルの日」よりもはるかにたやすいはずである。」




敗残兵という言葉があるが、戦場の兵士はすべてドロドロでボロボロで、垢まみれ髭だらけであって、その風態はみな敗残兵そのままである。これを威儀を正したパレード用になおすには、兵器手入・靴手入・被服補修等々をふくめて、どれくらい時間がかかるかが問題になったが、結局、どんなに急いでもマル一日はどうしても必要である(会田氏は一日では無理と判定されたが)という結論になった。(略)



これを可能にするには、十三日にあらゆる情報を総合して、ほぼ大丈夫という予想が立てられねばならない。
すると、十二日正午突入で十三日夜平穏ということになるわけだが、これでは戦闘する暇も虐殺する時間も死体を片付ける時間もないはずなのである。



というのは城門を突破してから、城内全域を無戦闘で掌握し、治安を確保するのだって、一日や二日はかかるのが普通だからである。しかも日本軍は、移動は二本の足である。(略)



従って十二日正午突入、十七日入城式なら、これは戦闘がなかったものと考えねばならない_どう考えてもおかしな話だ、これが私の実感であった。




これに対して、会田氏は、当時の日本国内の厭戦気分は異常なほど_これは安岡章太郎氏も前に指摘されたが_なので、ここで大本営は、大激戦、大殲滅戦、中国軍全滅、首都南京突入、入城式、講和、凱旋という一連の虚報による「演出」をスケジュールに組み込んでいたのではないか、という意見であった。この会田氏の推測をピタリと裏付けるのが、鈴木特派員の「丸」の記事なのである。(略)




だがその前に当時の状況の概略を記せば、十二月八日に蒋介石は南京を離れている。(略)

従って翌九日休戦、十、十一日両日の日本軍の攻撃で、日本側に大きな損害を与えたら、それで全軍を撤退さすつもりであったろう。」



「この記述は、一体全体どう解すべきか。いま日本軍が城内に突入したというのに、そこを二人の新聞記者が「社旗」をもって、まるで普通のある都市の市街でも歩くように、高い姿勢で、宿舎を探しながらふらぶら歩いているのである。これが「前線」とは恐れ入る。



大体「戦闘状態」とは、「社旗」などもって、人間が立って歩ける状態ではない。平ぐものように地面にへばりつき、四方八方に気をくばり、はじめての人間は失禁状態になっても不思議ではないのが実情である。」




「結局、軍も新聞も「百人斬り」は断固たる事実」的なことをやっていたのである。
さて、この「遺棄死体のみをもってするも八万四千の多きに達し……」だが、人は何と解釈するか知らないが、私はこのあまりのデタラメぶりに「こうやって国民をだましてきたのか」とただ吐息が出るだけである。」



「自らの言葉が自らに返ってきて自分を打ち倒す、と感じた瞬間、人は打ちひしがれて立てなくなる。向井少尉にもそれが見られる。しかし彼はそれを乗り越えて、上申書と遺書を残した。そしてその書き方の視点は非軍人的と言える。



彼はやはり最終的には「幹部候補生」すなわち「市井の一人」だったと思われる。そしてその精神状態は絶対に、「百人斬り競争」実施の主人公のものでもなければ、「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」といった異常な虚報を得々と活字にできる記者のそれでもなかった、といえる。」