読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (最後の「言葉」)

「入手しうるあらゆる資料を検討したが、以上で、私にはもう疑問点はない。向井少尉と最後まで同じ拘留所にいたK氏のその手紙の一部を次に引用させて頂く。


<前略、失礼いたします。
ぐう残な機会に「週刊新潮」七月二十九日号の「南京百人斬り」の虚報で死刑戦犯を見殺しにした記者が……云々の記事を見ました。

私は当時南京戦犯拘留所で、向井、野田、田中、その他の人たちと一緒に居た者で、彼らが内地から送還されて来た時から死刑になるまで共に語り合ったものですが、当時の拘留所は木造の二階建で、元陸軍教化隊であるとかで一階が各監房、二階半分が監理室、半分が軍事法廷になっており、耳をすませば二階の裁判の模様が分かるほどでした。(中略)


彼らは死刑判決を受け、ただちに柵を隔てた向こうの監房に収容されたが、書籍、煙草を送ることや、話をすることは出来た。しかし判決前に彼らが話していたのは、貴誌既報の如く、全くの創作、虚報であり、浅海がこのことを証明してくれるであろうといっていた。



そして判決後、その浅海記者の証言書をとりよせるため、航空便や、彼らに煙草の差し入れをした。そしてやっと待望の証言書が届いた。彼は独房から、きましたかと、声をあげて泣いた。しかしその内容は誠に老獪というか狡猾というような文章で、創作であるとは書いてなかった。


そして彼らは執行された。


われわれ残る者は泣いて浅海記者の不実をなじった。浅海記者になんの思惑があったかは知らないが、何ものにも代え難い人命がかかっていたのに新聞記者なんて不実な者よと憤慨した。
裁判もまたでたらめであった。たしか二回ぐらいで次は判決であったと思う。証拠もその記事が唯一の証拠であった。(略)



私はこの手紙を書くに当たって、今さら空しいことをとも考えたが、僕達が最後まで世話し、そして新聞記者の虚報のために犠牲となって死んで行った彼らのためにあえて書きました(後略)>」




「くりかえす必要はないと思うが、「南京大虐殺」がまぼろしだということは、侵略が正義だということでもなければ、中国にそしてフィリピンに残虐事件が皆無だったということではない。



それは確かに厳然としてあった。第一、「恩威並び行われる皇軍」などというものは、私の知る限りでは、どこにも存在しなかった。
だがそのことは、隆文元弁護人がのべているように、二人の処刑を、そしてまた私の知る多くの無実の人の処刑を、絶対に正当化はしない。


それを正当化することはまず、本当にあった事件を隠してしまうだけであり、ついで犠牲者がいるとなると、今度はこういう犠牲者に便乗して、本当の虐殺事件の張本人が、ヌケヌケと自分も戦争犠牲者だなどと言い出すことになってしまうからである。


現にその実例があり、私には少々黙過できない感を持っている。虚報に虚報を上塗りし、「百人斬り競争」を「殺人ゲーム」でなぞっていると、そういう全く不毛の結果しか出て来ないのである。



だがこれについては、辻政信復帰の場合を例として「文芸春秋」で記したから、これ以上はここではふれまい。」


〇 ここで記されている辻政信という軍人こそが、まさにノモンハンの実質的責任者でありながら、現場の将校に責任があるとして、自決を強要したとされている人です。

でも、なによりも問題なのは、NHKスペシャルの中でもナレーターが言っていたように、本来は責任を負う立場ではない、辻にすべての判断を任せる形になっていた、
大本営の体質だと思います。

そして、更に根深い問題は、このような卑怯で筋違いな自決の強要をした辻を、
その後も、日本軍が、評価し、受け入れ、地位を与え続けた、ということです。
つまり、辻のようなやり方を多くの日本人は、軽蔑もしなければ、嫌悪もせず、むしろ、「ほめ讃えた」と言われてもしょうがないような対応をした、ということです。

私は、正直な所、それが本当に本当にショックで、悲しい…。

日本人ってなんなのか…と思います。
今も、あれほど卑怯で卑劣であくどい安倍氏が、支持され、三選され、
政権を担い続けようとしています。

何故なんでしょうか…

それほどまでに、善悪、正義、真っ当、の感覚を持たない人間の集まりが、
私たち日本人なのでしょうか。