読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の幸福論 (八 職業について)

「今日の若い女性の生活において、恋愛や結婚と、ほとんどおなじくらいの比重を占めるものに職業の問題があります。(略)


さきに結論を申しますと、生活の手段としての職業という考え方は、けっして私たちを幸福に導かないと思います。もちろん、現状がそうなっていることに眼をふさごうというのではありません。が、これは困ったことだという自覚を、皆さんに持っていただきたい。



そういう現実の中で、それにうちかつ努力を、たとえ少しずつでも、重ねていくことが大事なのではないでしょうか。(略)



第一に、どんなに不愉快な事でも、現実は現実として認めること、甘い理想主義でそれを頭から否定してかからぬこと。第二に、そういう不利な現実の中で、真の幸福を身につける場所を見出すこと。が、結論は後回しにしましょう。(略)



個人や家庭の事情によって違いましょうが、みなさんが職業に就きたいという気持ちは、だいたい次の五つに尽きるのではないでしょうか。



その一、家が貧しいため、家計を助けるというやむをえない事情。
その二、家はそれほど貧しくはないが、友達と映画を見たり、喫茶店に行ったり、流行の衣裳を身につけたり、出来るだけ青春を豊かに飾り、結婚準備の資金や身の回りの物を揃えたいという気持ち。



その三、いつもおなじ顔を眺め、決まった手順をくりかえし、外に向かってなんの可能性も開かれていない退屈な家庭生活からの逃避。
その四、とざされた家庭から出て、社会の空気にふれ、ついでに恋愛と結婚の相手をみつける自由を得たいという心理。



その五、もっと積極的に、女性が男性に対して強く平等の権利を主張するため、生涯、独身で、あるいは結婚しても、経済的能力を保持しつづけようという考え。」




「ところで、その女性の不満というのは、要約すると、こういうことになるらしい。一、職場でお茶を汲むのは、たいてい女の役割と見なされている。二、仕事の能力よりは、美貌や愛想のよさという点が買われる。



三、重要なポストにつけてくれない。四、男性に比べて低賃金であり、昇給率も低い。一言でいえば、あくまで女という烙印をはずしてくれぬということです。これらのことは、一見、不合理のように見えますが、現実を肯定するかぎり、それぞれ理由のあることなのです。



その現実を頭から肯定しはなしでいいかどうかは、改めて考えるとして、ひとまず、そのもっともな理由を挙げてみましょう。」



「第一、男性、および経営者側にとって、職業を腰掛けとみなす「女性的職業婦人」と職業を永続しようとしている非「女性的職業婦人」と、この二種類を見わけることは、ほとんど不可能であります。



いわゆる進歩的女性諸君が考えるほど、今日の経営者は、女性を女性であるがゆえに軽蔑してはいません。彼らにも仕事に熱心な女性を見わける眼はあります。が、またそういう女性ほど、家庭の主婦としても万人に望まれるはずですから、いつ職場から姿を消すかわからない。



つまり、二種類の女性の見分けがつかないのです。」



「この章の最初に述べたように、職業というものが、職能とか役割とかいう人間性をなって、ただ金銭を売る手段に化してしまった辛さを、男も女も同様に背負っていることを、理解し合うべきではないか。


さらに、その辛さは、むしろ男のほうこそ切実に感じていることを、女性は知るべきではないか。私はその意味において、男性は結婚するなら、ある程度、職業に携わった女性を選ぶべきだと思います。



もちろん、女性はその体験を得るのを目的に職業に付けという意味ではありません。ただ、結果論として、そういう女性のほうが、家庭の主婦として、夫の生活を理解できる利点を持ちやすいというまでのことです。」



「女性の地位が低いということについての意識も同様です。それはなにも、女性が本質的に男性に劣っているということではありません。そう考えている男性はかなりいるかもしれませんが、その数は、おそらくそう考えている女性と同様でありましょう。



みなさんのつきあう男性のうちには、それほど愚かな男は、そうたくさんはいないでしょう。あるいは無意識の底に、そういう意識を潜めている人も、いるかもしれない。いや、いるでしょう。が、無意識ということになれば、男女平等を主張する女性自身のうちにも、かすかに劣等意識が残っていはしないでしょうか。


それがまた逆に男性の優越意識を刺戟するのです。これではいたちごっこで切りがありません。
この問題を根本的に考えるには、やはり、男性的なるもの、女性的なるもの、という問題を改めて根本から考えてみねばならないと思います。」


〇 さすがに、母が若い女性だった時代に書かれた文章なので、内容が古いと感じます。でも、そうは言っても、この問題が今や完全に大昔の問題になっているわけではないことも事実です。

先日、報道された東京医科大学女性差別は、ショックでした。今でもそんなことが、行われているのか、と。でも、その問題が明るみに出た、ということは、多少は良い傾向なのかもしれません。さもなければ、「大本営発表」の御用報道機関が隠蔽するのが、普通なのでしょうから。