読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「女のライフスタイル
先だって大阪の総評の婦人協議会が、女の労働者の退職の理由を調べました。トップは「出産・子育て・家族介護」で、全体の4割近くだったそうです。

これを男が、女の働けるように手伝わないからだと、いちがいに言えません。手伝っても、もちこたえられないほど、企業が働かせすぎをやっているとも、考えるべきでしょう。



男女雇用機会均等法」ができて、女も男と同じに働けば賃金も同じになるというのですが、この法律のおかげで、女は残業がふえ、転勤が多くなっただけのようです。
仕事をやめる人が増えて、専業主婦が増えていくかと思うと、そうでありません。
うちの近所を眺めてみても、子供がおおきくなって、手の空いた主婦は、たいていパートにいっています。住宅ローンのおぎないと、子供の熟代かせぎです。(略)



自分のライフスタイルを、女が自分で選んでいこうとすると、いろんな邪魔にぶつかります。それを取り除いていくことが、いわゆる女性解放です。
アメリカの様子をみますと、前世紀からの「女性解放運動」は、女性の参政権が得られ、売春もおおっぴらにできないことになって一応目的を達しました。その運動をやっていたリベラリストたちは、「女性解放」の目標をなくしました。



リベラリストにかわって、「女性解放運動」を続けているのは、マルクス派と、フロイト派です。フロイト派は男性支配は性関係の男性支配からおこった父権性だとして、性の解放をとなえます。マルクス派は、フロイト派が歴史的な移り変わりを見ていないとして、今の男性支配は、資本主義の階級支配と父権性の重なったものだといいます。



それらを読んで感じたのは、女性差別がどうして起こったかという「理論」を見つけることに熱心で、どうして差別をなくするかという運動の組み方をあまり書いていないことです。


「女性解放」を女だけの運動にしていては、男に対する告発に終るでしょう。
女のライフスタイルをかえる運動を、男も子供も巻き込む全人類の解放の運動にしないと、女性の解放は、ひとりぼっちの戦いになるでしょう。」


〇 今は夫が子育てに関わるのは当然という認識が社会的にも定着して、
私が子育てをしていた時より、進化していると思います。
企業の中にも、それを応援する姿勢を持つ企業も出て来て、少しずつ変わってきていると希望が持てます。

グローバル化の影響で、世界の規準が日本の社会にも影響を及ぼしてくれて、助かっている部分は多いと思います。

引用します。

「この国で育児をしながら、私は一つのことを強く感じるようになりました。それは「ここでは、子育ては大変だと認められている」ということ。こんなハードなこと、親だけでできるわけがない。だからまわりが手を貸そう。その考えが、親戚・ご近所・友達付き合いをはじめ、社会全体に生き渡っています。」

〇 いつも感じることですが、システムを真似しても、その源にある、この感覚が自分たちのものになってなければ、なかなか本物にはならないんだろうな、と思います。
公私の区別をつけるという言葉がありますが、子供・家族の問題は全て「私」の分類に入り、公の場に持ちださない、という感覚が私自身の中にもあるような気がします。

子供が大切な宝だという感覚がない→保育園等の建設が拒否される→社会全体が子育てを助けようとする空気にはならない。

これが、私たちの国の現実で、何か、制度や仕組み以前の精神や心の部分での違いを感じます。