読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「シングル
赤ちゃん時代から診察室によくきていた娘さんで、30歳になっても結婚しないで勤めている人が増えました。どの娘さんも学校のよくできた子で、私の書いた本もよく読んでくれています。


たまたまあった時、尋ねてみますと、
「いい男の人がみつからないんです」
といいます。そういう娘さんの中から35歳をこすと、
「シングルでもかまわないわという気持ち」
という人が出てきます。



彼女たちと同い年か、1~2年うえの、ひとり身の男たちの誰かを、結婚の相手と考えてみると、どの男も、ちょっと彼女たちとは太刀打ちできないなと思わざるをえません。



仕事熱心で35歳まで勤めて来た女の人は、月給もかなりとっています。結婚して専業主婦になったら、それがゼロになるんですから、誰だって考えます。
それに男が、両親の家から通っていると、身の回りのことは全部母親にやってもらっていますから、仕事をもつ妻と家事育児を分担するなどということは、とても出来ないでしょう。


親の家から離れて下宿している男は、外食と、自分でもっていくランドリーの生活にあきあきしていますから、結婚したら専業主婦に「かしずかれ」たいと思っています。



彼女たちに耐えられないのは、男たちの教養の低さです。働かされすぎで、本もよめず、絵画展も演劇もコンサートにもいく暇はなく、大学で習ったことを忘れたところを、スポーツ新聞と週刊マンガが埋めているだけです。何よりも、自由な女が感じる権力の重みを感じません。


私の学生時代、権力に違和感のない人間を俗物といいましたが、男たちはまさに俗物です。
こういう人とカップルになっても、共通の話題はないでしょう。こんな男のために、仕事をすてて、無給の家政婦や保母に転業しようという気が起らなくても、無理はありません。



結婚情報センターとか、花婿学校とかいうものが、これも企業として出来ています。
センターでは男たちに、女に気にいられる「態度」や「口のきき方」の講習をしているところもあります。
けれども私の知っているかしこい娘さんたちの教養が、そんな「態度」や「口のきき方」に魅力を感じるとは思いません。



教養とは生きる姿勢に結び付いた、知的な態度です。それは付け焼刃でもなければ、積み木遊びでもありません。過去の知者と芸術家の中にあるものが、自分のどこかにないかという探求の結果です。それが見つかった時の、逢引きのような喜びが、教養の楽しさです。」


〇 「男たちの教養の低さ」という言葉に、山本七平氏や福田恒存氏の本にあった、
「教養」という言葉を思い起こしました。

私の知っている身近な男たちのことを考えてみます。
学校の成績は、良い方でした。でも、大学を出て就職した後は、本当にスポーツ紙と週刊マンガしか読みません。

一番話が合わないと感じるのは、ここで松田道雄さんも言っている、「権力」に対する感覚です。
A男は、「日本古来の良い伝統を未来に受け継いでゆくために、町内会の和や人間関係や、さまざまなしきたりを大切にする必要がある」と言います。
それでいて、個人的な要求を「お上」に対して言うなどは、もっての他で、まるで、大昔のムラ社会の価値観で今も生きているように感じました。

B男は、もう少し近代的な人に見えました。でも、ある時、平和憲法について、話をしようとすると、「人間社会に戦争はつきものだ。ずっと戦争がないと考えることに無理がある。それは、しょうがないことなのだ。」と言います。

私は何故なんだろう、と思います。

「自分たちでより良い社会を作ろう」という発想が全くないのです。実際、A男もB男も、自分の趣味や自分の仕事には熱心に取り組みます。でも、その生き方の中に、社会をどうしたいのか、という発想は全くなく、
そのために行動したり発言したりということがありません。

そういう意味では、全く受け身です。何があっても、ただ流れのままに流れようとしています。
何故なんだろうと、わかりません。これはもう、DNAレベルで、権力には黙って従う体質なんでしょうか。

私自身も、あまり大きなことは言えません。例えば、隣組のような制度が復活し、密告が日常化して、特高のような恐ろしい力が圧力を加え始めたら、
私だって、多分間違いなく、沈黙し、権力の言いなりになるタイプの人間です。

でも、だからこそ、今、出来ることをしたいのです。
そうなってしまっては、もうどうにもならないから、言論の自由を守る為に、今、
何とかしたいのです。

でも、私の周りの男たちは、皆、びっくりするほどなにもしようとしません。

何故なんでしょうか。