読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

日本に住む私たちは、おくればせながら、敗戦のおかげで自我が確立されて、自分の生き方を自分で選んでいいことになりました。
けれども、デモクラシーの根本の、人間平等が生き渡っていないので、人生の最後のページを、自分の思うように閉じられないでいます。


新聞の死亡欄を見てごらんなさい。あの欄にのせてもらえるのは、社長だとか、名誉教授だとか、大臣の母親とかです。そういう人たちがみんな病院で亡くなっていて、死ぬ場所が自宅と言うのはありません。



どんな大邸宅をもっていても、自分の家で死ねません。地域医療が大事だなどと言っている町の医者が、病気が重くなると、昔のように往診してくれないからです。病院は葬儀社が葬式の手順を決めているように、重くなった病人の死なせ方を、きめています。点滴、酸素マスク、心電計のとりつけ、場合によって人口呼吸器。



マスクをはめられると、家へ帰りたいとも言えないし、たとえ言っても、許されないでしょう。家族とろくに話もできません。
それでいて病院は、いかにも助かるようにふるまって、死の近いことを本人に告げません。第三者の目からすると、助かる見込みのないのに、ただ死期を先に延ばすだけで、患者の苦しみを長くしているとしか、うつりません。


自分の生き方を自分で選ぶことが、まったく無視されています。
病院の経営の事情がどうあろうと、これはおろかなことです。欧米の医者の中には、この愚かさをやめようという動きが出ています。



オランダの医者がトップを切って、もう治療をやめて楽に死なせてほしいという患者の意志を尊重することにしました。オランダの医者の決めた指診は次の通り。



「患者から明確なリクエストが繰り返しあること、死にたい希望に疑いの無いこと、患者の精神的または肉体的苦痛がきわめて激しく、軽くなる見込みの無いこと、患者の決心が、事情を詳しく説明された結果であり、自由に決められたものであり、一時的でないこと、現在の治療以外の治療がことごとく行われたかまたは患者から拒否されたこと、



医者が他の医者に十分相談した事。当然のことながら痴呆や自分の意志を正当にのべられない患者はのぞく」



患者に意思決定の能力があるかないか、それを誰が決めるかが問題だと、カナダの医者は批判しています。
日本では安楽死は、医者と患者との問題としては、まだ未熟です。医者は患者を平等の人間とみなさないで、治療について詳しい説明をしません。患者のほうで、治療を続けるか、拒否するかを、決めようがありません。安楽死を法で決めるより、患者の人間復権が先です。」