読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「先生の組合
70年ほど前に私が小学校で習った先生がたのほとんどすべてを、今も尊敬し感謝しています。出身から言うと、京都市の人は例外で、大部分が府下の農村の生まれでした。当時は義務教育は小学校までで、資産のある家の子でないと、中学に行けませんでした。



府下の農家に生まれた子で、勉強の好きなもののいける上級の学校は、師範学校しかありませんでした。
師範学校は無料で全寮制でした。二年間の高等小学校を出てから入るのです。軍隊式の教育で、忠君愛国を使命とする人間を養成しました。先生方は国にたいする使命感とかさねて、教育者としての使命感をもって、小学校につとめました。月給も安いものでした。



彼らの使命感は、生徒には教室の中で熱意として感じられました。質素な服やひじにつぎのあたったシャツに、私たちは、ひたむきな生き方を教えられました。(略)



けれども、最高に重要なことは、敗戦によって、それまでの教育と断絶したという認識です。学校教育は忠君愛国から、民主主義に変わったということです。民主主義は政治の制度だけの話でありません。学校で子供に教えなければならないのは、日常生活の民主主義です。



日常生活の民主主義を教えるのには、人間の平等と自由とをわからせねばなりません。平等や自由が必要なのは、人間のひとりひとりが、めいめいの幸福を求めるためです。他人の迷惑にならなければ、どんな幸福の求め方をしてもいいというのが人権です。敗戦前の教育と、いまの教育とが、一番違うのは、子どもの人権を認めるか、認めないかです。



私がならった先生方は熱心でしたが、その熱心を体罰で表すことをためらいませんでした。今の学校に体罰が残っているのは、切り替えが出来ていないのです。




習字科をつくって左ききの子に右手書きを強いること、画一をきめる校則を作ること、内申書で生徒をおどすこと、身体の調子が悪くて体育を見学するのを減点にすること、便の回数や食品の好みに干渉すること、すべて子どもの人権に対する無関心です。そのことは何度か文章に書いたのですが、先生の組合は取り上げてくれませんでした。」


〇 こうして読むと、私自身、校則や体育の見学や食品の好みに干渉すること等について、学校がすることに、ほとんど疑問を持たずにいました。理不尽だと思いながらも、一々闘うことは、大変すぎるのでそういうものなのだ…と、
自分に言い聞かせていました。

日本社会は空気を読み主張すべき事も主張しないのが問題だ、と理屈はわかっていても、現実の生活の中で、一つ一つ闘って、変えることは、本当に難しいと思い知らされます。