読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「差別
非の打ちどころのない人間は、いません。誰でも、どこか欠けています。欠けているところだけ見つめると、自分はダメ人間だと思えて来ます。劣等感ともいいます。
劣等感を忘れる時があります。それは強いものの仲間に入って「劣った人間」をばかにするときです。本当は強くないのに、生まれつき強いものの仲間であるような気になって、劣等感から解放されます。


差別されるものに、劣った所があるのでなく、差別する方に、どこか劣った所があるのです。劣ったところを忘れるために、自分たちは強い仲間だという、つくり話を考え出します。自分たちは正常の人間だが、相手はきずものだと決めつけることもあります。
「劣った人間」と自分たちは、違うという気持ちで、偉くなったように思うのです。だから、おろかな男ほど、女を差別します。



明治のころ列強にかこまれていた日本は、弱小国であるという劣等感を持っていました。日露戦争に勝ったあと、隣の韓国を侵略し、植民地にして、列強に並んだという優越感を持ちました。そして韓国の人たちを「劣った民族」とする作り話で差別しました。



優越感が度をこえて、次には中国を侵略し、平和に暮らしている人民をたくさん殺しました。勝った勝ったといって、日の丸の旗をたて、君が代をうたい、聖上万歳を叫びました。
敗戦によって、つくり話はこわれました。作り話は、日本のしきたりは、世界一いいということの上に築かれていました。



しきたりの多くを改めることを誓って、新しい憲法を作ったのに、まだ戦前の優越感にかじりつく気持ちが消えていません。それが隣国の人たちへの差別です。在日韓国人朝鮮人を犯罪者みたいに試問をとったり、就職や結婚で差別したりしています。


世界が平和であるためには、まず隣国の人々と仲よくしなければならないのに、侵略を侵略でないといったり、侵略のシンボルだった旗を、日本中の儀式に掲げたりするのは、相手の反感をよびおこすだけです。



差別することに慣れっこになっていて、差別される人の気持ちがわからなくなっているのです。江戸時代に特定の職業の人や特定の地域に住む人を差別しました。殿様や武士にいばられて劣等感を持っている農民や町人に、優越感を持たせるためでした。それがまだ続いています。


差別は、人間の平等を認めないで、個人の尊厳を傷つけるのですから、デモクラシーの最大の敵です。差別をなくすることが、次の世代を育てる学校教育で一番大事です。「いじめっ子」がいることは、おとなの社会で、差別が日常にあるからです。「いじめっ子」が学校にいたら、その学校の民主教育は落第です。」