「教育ママ
「教育ママ」という言葉が、使われ始めたのは70年代でした。
子どもを有名大学に入れようと、エリートコースの幼稚園や小学校の「願書受付」に、徹夜でならぶ母親のあだ名でした。
今は「教育ママ」とあまり言いません。母親がみんな「教育ママ」になってしまいました。小学生で塾に行っていない子、家庭教師に来てもらっていない子は、ほとんどありません。
学校も受験体制に巻き込まれています。小学校から受験準備をしないと、名門の大学に入れません。
有名な企業や大官庁は、名門大学の卒業生をあらそってとります。学歴社会というものができているのです。テストで上位のものを集めた大学の卒業生が、大企業や大官庁の中枢にいて、ネットワークで「日本株式会社」を作っています。
企業や官庁がトップクラスの大学出を採用するのは、ふたつのメリットがあります。
ひとつは、「日本株式会社」の人脈に属する人間を手に入れること。
もうひとつは、テストに耐え抜いてトップクラスの大学に入った人間は、飼い慣らされていて使いやすいことです。
総合模擬テストの上位にいるためには、文学だの、音楽だの、絵画だのをやっていてはだめです。一番精神のしなやかな時期の教養を投げ捨てて、テストに集中しなければなりません。人間として大事な、やさしさ、思いやり、誠実、創意などを、「偏差値」は必要としません。
人間としては欠陥があっても、耐久力があって従順な人間でさえあれば、企業や官庁は、それでいいのです。官庁や会社のしきたりと管理に、おとなしく従ってくれればいいのです。
「日本株式会社」のおかげで、高度成長し経済大国になり、他のどの大国より石油ショックに耐えたことを、「学歴社会」は、いいものでないと思っていても、よその子供が、みんな塾にいき、総合テストを受けていると、母親は自分だけ、学歴社会反対でがんばれません。気の進まない子を、なだめて塾に通わせ、模擬テストを受けさせることになります。
けれども、「学歴社会」と称する、一握りのエリートの選別に、大多数の子供の人間としての教養を犠牲にする制度が、いつまで続くでしょうか。
「日本株式会社」という強制労働のイエが世界各国からフェアでないといわれながら、いつまで平和につきあっていけるでしょうか。官庁も企業も、ただ従順な人間よりも、人間性のある、創意をもった人間を必要とする時代を迎えるでしょう。
いま「教育ママ」であるかどうかは、未来に対する賭です。」
〇 昔の人は貧しくて子供の頃から働いていた人も多く、勉強などそれほどしなかったと思います。それでも、その人びとが、経済大国を作りました。
日本の資源は人材だ、と言われていたのを知っています。
だからといって、昔に戻ろうと、忠君愛国の精神に戻そうとするのは、やめてほしい。
「教養ある人間」を育てる国にしたいと願った敗戦直後の精神に戻ってほしい。