読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

奴隷解放宣言
日本のしきたりでは、女はイエに飼われた単なる労働力であり、後つぎをつくるための道具でした。貝原益軒は「和俗童子訓」の「女子を教ゆる法」のなかでいいます。


「婦人には三従の道がある。およそ婦人は、柔和で人に従うのを道とする。自分の心に任せて勝手なことをしてはならない。……父の家にいては父に従い、夫の家にいては夫に従い、夫が死んでからは子供に従うのを三従という。……幼時から死ぬまで我儘な事を行ってはいけない。かならず人に従ってするがよい」



勝手とか、わがままとかいうのは、今でいう自由のことです。女は奴隷と言う名はついていませんが、奴隷の境遇とかわりません。



明治に出来た憲法は、臣民の権利義務を言っていますが、女を差別してはいけない、とどこにも書いていません。明治の男たちは口では文明開化をとなえましたが、生活のしきたりを変える気はありませんでした。



明治15年に出た、女のための教科書「新撰女大学」(西野古海著)には、
「婦徳というのは、貞順のことである。夫につかえて心を一筋にかため、百千万の辛苦艱難にあうようなことがあっても、まごころを失わないのを不弐の徳という。


この不弐の徳を貞という。順とは、何事であっても自分の考えをださず、夫の命令をうけて、つつしんで従うのをいう」


とあります。福沢諭吉がたまりかねて「女大学評論」をかいて男女平等をうったえたのは、明治32年になってからです。
ですから敗戦後につくった日本国憲法で、政治、経済、社会で性別によって差別してはいけないこと(第14条)をかいたのは、日本の女にとってアメリカの「奴隷解放宣言」と同じ重みをもっているものです。


1863年1月1日に出た「奴隷解放最後布告」には、南部の州のなかに「奴隷として所有されているすべての人々は、その日ただちに、またそれより以後永久に、自由を与えられる」と宣言しています。



けれども、この宣言が出て、すべての奴隷が、その日から解放されたのではありません。解放をやったのは、一部の州だけでした。



公共の場所やバスで、白人と黒人とは、それぞれ決められた別の席に座るような法律をつくる州が、その後にできました。そしてその差別は今日でも、完全にはなくなっていません。
差別で得をしている人間は、容易にしきたりからのがれられないということです。
日本の男が、新憲法を押し付けらたものだぐらいにしか、考えていなくても、日本の女は、この解放宣言を、けっして忘れないでしょう。」