読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「PTA
戦後の終わった時ほど、ほっとしたことはありません。焦土の上に立って、明日の食べ物の心配をしなければならなかったけれど、もう軍部に追い立てられて、殺し合いをしなくていいし、警察官にやみくもに引っ立てられていくこともなくなったと思うと、本当に解放されたという感じでした。


新しく日本の支配者になった連合軍司令部が、つぎつぎと出してくる民主化の指令にも違和感を覚えませんでした。私たちの先覚者がやろうとしていて出来なかったことが実現されるのですから。



PTAをつくるように、文部省が通達を出して(1945・11・24)、
「新しい民主的教育に対する理解を深め、これを推進する」
のがPTAの目的だといったとき、これで上からの役人の押し付け教育がおしまいになると思いました。



けれども、それからの40年は、また昔の教育への逆戻りでした。しきたりに合わない民主主義をいやがる人たちの力が強かったのです。政府にも、戦争をするのに一役買った人が返り咲きしてきました。企業は、しきたりによりかかって、息を吹き返しました。



子どもの教育は、子どもの立場にたつ親の考えよりも、役人の都合で、上から押し付けるものだという考えが、広がってきました。


昔の押し付け教育のシンボルだった「日の丸」と「君が代」を復活させるのに、いちばん熱心だった文部省の役人が、実は受験・就職企業に操られていたことほど、今の教育が企業と結びついていることを示すものはありません。



教育は、もう一度国民の手に取り返さねばなりません。
子どもをもつ主婦がつくる「民間団体」であるPTAは、その足場になるべきです。
PTAをつくるように文部省の出した先の通達はいっています。



「家庭と学校との関係を一層緊密にし、児童青年の訓育について、父母と教員とが聡明な協力をするようにする」



いまはPTAから「教員」を外して、育友会という名にした学校では、校長が親たちに、「学校の教育をとやかく言わないで下さい」といいます。これでは母親の仲良し会です。
役人の教育方針に忠実な校長と、出発当時の民主主義を回復しようとする母親との意見は、一致しないでしょう。だが不一致があったら、それを討議するのがPTAです。



PTAは母親にとって、民主主義を回復する大事な場です。母親の意見が相手にされないから、みんな役員になりたがらないのです。
会長や役員を決めるのは、校長と男のボスの指名でなく、総会で十分論じ合って、無記名投票にすることが、第一歩です。」


〇「母親の意見が相手にされないから役員になりたがらない」という、この松田道雄さんの見方は、私の感じたことと、少し違っています。

私も3人の子を育てる為に、幼稚園から高校まで、何度となくPTAの委員を引き受けなければならない状況になりました。

PTAの委員は、みんながなるのを嫌がりました。進んで引き受ける人は、「好きな人」だけなのだ、という認識がみんなの中にあって、好きじゃない人は、やらずにすみますように、と願っていました。

私も本音を言えば、そうでしたから、とてもよくわかります。
もともと、主婦だって忙しいのです。
しかも、集まりに出ると、様々な人が居ます。

自分と同じ価値観の人ばかりだとは限りません。
不愉快な思いもします。

私の地域では少なくとも、「母親の意見が相手にされない…」という次元の話ではありませんでした。

「ボランティア」という考え方があります。「人の役に立つことを進んでやる」という精神があって、はじめて成り立つものだと思います。
その目的のためには、多少の「トラブルや困難」は折り込み済みで、
引き受けます。

楽しいことだけをやろうとする考えからは、そんなことをしようとする気持ちは
出て来ないと思います。

(とは言いながら、やりがいがある=生き甲斐につながり、結果として面白いこと、とも言えるとは思うのですが…)



PTAには、それと同じ精神が必要とされるのだと思います。
でも、私たちの社会には、その精神が大事だという「空気」がないのだと思います。

だから、みんな嫌がるのだと思います。

でも、この精神は、民主主義を育てるには、とても大事な精神だと思うのですが。