読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「PTAとボランティア
日本PTA全国協議会でだしている「PTAハンドブック」には、PTAはボランティア活動だと、何度も繰り返しています。

ボランティアというのは、自発的に、無償で参加する人のことですが、現在のPTAには、母親たちは無償であるのは事実ですが、あまり自発的に参加しているようでありません。
PTAの役員にされることを、みんなさけたがっています。子供を人質に取られているだから仕方がない、というので、しぶしぶ引き受けるのが、実情です。



なぜ、進んで参加したくないかといえば、PTAが子供の教育環境をよくすることに繋がらないからです。民主教育を理解して推進する目的でできたPTAが役人たちが監理する、上からの教育の片棒をかつがされる、ただ働きの組織になってしまったからです。



PTAを役人が上から命令する教育の足場でなく、子どもを民主主義者にするために親と先生が相談する組織に戻さない限り、親の自発的参加をのぞめません。


教育委員を地域で選出していた時代には、PTAの話題は、子どもの教室で起こる問題でした。いまの「PTAハンドブック」は「PTAは社会教育関係団体であるといわれています」というあいまいな表現で、PTAを教室から遠ざけています。



PTAは、子どもが教室で民主主義を教えられているかを問わねばなりません。民主主義教育は、政治の制度を暗記させることでありません。子供の教育での生活の問題です。



生徒は平等の独立した人間として扱われているか、教師が生徒の人権を無視していないか、生徒同士が平等につきあっているか、誰か特権を持った生徒がいないか、を問うことです。



PTAは母親の生涯教育などに関わっている暇はないはずです。第一、自分がどういう教養を身につけるかは、母親の自由な選択で、役人や校長に指図されることでありません。


内申制度は教育行政の都合を進路指導と称して生徒に押し付け、生き方をきめる権利を奪うものではないか、先生の起源を損じないようにしようと生徒を卑屈にしていないか、お互いの人間としての信頼を無くし、教育の根本を危うくしていないか、を問題にすべきです。




またいじめっ子の問題も、取り上げてほしいと思います。人権がこれほど侵害されることはないからです。
障害児にも、ふつうの教育のチャンスを与えるため、学級の人数がもっと少なく、先生がひとりひとりを掌握できるよう、親と先生が一致して、要求すべきでしょう。



PTAを活気のあるいとなみにするには、PTAが何の目的で出来たかを思い起こすべきです。初心にかえることです。


〇 上の子が小学生の頃、PTAの委員になり、学校の中をウロウロしていた時、職員室の中の様子は、扉のガラスを通して、よく見えました。
また、何かと職員室に出入りもしました。

でも、一番下の子が、小学校を卒業するころ、何故か、職員室の扉のガラスは、木の板で覆われ、外からは見えなくなりました。そして、よっぽどの事情がない限り、職員室に入ってはいけないという雰囲気になりました。

ここでは、松田道雄さんが、「民主主義を教えているかをチェックせよ」と言っていますが、それ以前に、先生と親が「仲間」の雰囲気で子供のことについて話が出来る環境が大事なのだと思っていました。

上からの押し付けでもなんでも、親が学校に出入りすることで、親と先生が並んで話が出来れば、その中で、気にかかる問題があれば、話することが出来ます。
上からの押しつけのPTAなど必要ない、と言ってしまえば、話し合いの場も破壊してしまいます。

多少面倒でも、手間がかかっても、先生との繋がりや親同士のつながりは、大事にしておく必要があると思います。

大事な子供の育つ環境の一部なのだから。
私は、そう思います。