読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「偏食の矯正
小児科の医者をしていて、よく相談を受けるのは、赤ちゃんが離乳食を食べてくれないことです。せっかく念を入れてつくったご馳走を、いやいやして向こう向いてしまうのですから、お母さんがいら立つのはむりもありません。


私は赤ちゃんの「小食」と「偏食」にたいして、まったく楽観しています。それは、以前、「小食」や「偏食」で連れてこられた赤ちゃんが、現在は健康で、ふつうの市民生活をしているからです。


小食というのは、少しのエネルギー補給で生きていける体質で、生まれつきのものです。赤ちゃんの頃、どうしても150mlしかミルクを飲めない子は、たくさん居ます。そういう子に180mlのまそうと思ってもできません。


また「偏食」と言われる食物の好ききらいも個性です。平和な時代で、ものが豊かに在れば、きらいなものが少々あっても、食生活に支障はありません。「小食」も「偏食」も医学的には、まったく無害で、それを直そうとするときだけ害を生じます。医学的に無害なものを、なぜなおそうとするのでしょうか。
それは、まったくしきたりのせいです。



男が「国民皆兵」でいつ兵隊にとられるかわからなかった時代、女は嫁入りして姑に仕えねばならなかった時代、「小食」と「偏食」とは悪いことでした。
兵営では、兵隊は早飯といって、食事に時間を掛けてはいけないことになっていました。定量の飯を小食の人間は食べるのに時間がかかります。上官は早く食べろと叱りました。



嫁入りしてきたものは、姑のつくった副食を、えり好みすることは、許されませんでした。そういう時代には、「小食」と「偏食」の矯正は生きていくために必要でした。


だが、敗戦でデモクラシーの世の中になったのに、まだ「小食」と「偏食」の矯正をやっているところがあります。それが小学校です。



給食には先生がついていて、食べるのが遅い子、全部を食べられない子に、いろいろの矯正がおこなわれます。小食の子には、その子が早く食べられるように、急き立てる方法が案出されています。



その子が食べ終わるまで、他の子を着席させておく法。食べているのに他の子に掃除を始めさせて、ほこり責めにする法。
きらいな食品の食べられない子には、教壇で皆の方を向いて、すっかり食べるところを見届けてもらう法。


残す子に、初めから少なく分配するのは、平等の原則に反するのだそうです。
何と言う時代錯誤、何と言う人権の無視でしょう。男の先生は何度言っても改めてくれません。残された希望は女の先生の組合です。」


〇 松田道雄さんの育児書には、ミルクを少ししか飲まなくても、機嫌が良ければ
心配する必要はない、とあって、私はずいぶんホッとした記憶があります。
うちの長男も、150mlしか飲まない赤ちゃんでしたから。

何を本気で心配しなければならないのか。
気にしなくても良いことはどんな事なのか。
具体的な問題を挙げながら、そのポリシーが伝わる育児書でした。

ここでも、一番心配しなければならないことは、学校の先生や仲間たちに、
人権侵害をされて育つことだと言っているのだと思います。
される子も心配ですが、する子も心配です。
小食や偏食で、困った人間になる心配はない、と言ってるのだと思います。