「真面目な生活者ほど大損する
橋爪 でもね、小林先生。よーく考えるとそこには、大きな違いがありますよ。
税なら、その額をいくらにするか、国民は説明を受けるし、自分の意見も言える。これに対してハイパーインフレは、意見も言えないし、そこから逃れる術もない。全く民主的でない。これが第二の違いです。
第三の違いは、公平であるかどうか。税金なら、誰がどれくらい負担すべきかを、世代間の公平も含めて、検討することが出来ます。課税対象も、所得、資産、消費、相続などの、何にどれくらい課税すればいいのか、議論できる。所得税は累進制、など能力に応じて公平に負担する仕組みを考えることもできる。
これに対して、ハイパーインフレは、有無を言わさず、国民から無理矢理、資産を奪い取ってしまう。
小林 これを債権者と債務者の関係で言えば、債権者からお金を取り上げて、そのお金を債務者に与えるのがインフレです。
橋爪 めちゃくちゃに、不公正じゃないですか。だって、四〇〇〇万円の住宅ローンを組んでマンションを買った人は、インフレで、事実上ローンを返さなくていいことになるのにひきかえ、老後に備えてこつこつ四〇〇〇万円の貯金をした人は、それがあっという間にゼロになってしまう。
小林 より堅実な生活設計をしていた人に対して、より苛酷な仕打ちとなる。借金を重ねてばかりで、先のことをあまり考えずに暮らしていた人に対して優しい政策になってしまうわけです。
橋爪 アリがバカをみて、キリギリスが得をする。そんな政策が、国会で承認されるはずはありません。地道に四、五十年かけて財政を再建する方が、誰がどう考えても、ずっと合理的だ。でも、いくら合理的でも、国民がそんなの嫌だと拒否するのなら、あとはハイパーインフレの道しか残されていないのです。
小林 そこしか出口はないわけですからね。
橋爪 対症療法として、日銀による国債の引き受けとか、政府による金融機関の救済とか、打つ手はいくらもありそうに見えますが、それでも結局、同じ最悪の結果になる。
小林 その通りです。最終的には国民から政府へと資産が移転して、おしまいです。しかしそれでも、時間をかけて財政再建を実現させれば、国民全体にとって公平な仕方で、この問題に対処することが出来る。ところがそれは、増税と言う痛みを伴いますので、なかなか実行するのが難しい……。
でもそもそも、日銀が国債を買い支えることに合理性はあるのでしょうか。結局、何のプラスにもならないような気がしてきました。
(略)
小林 第一次大戦後のドイツが経験したハイパーインフレを含め、一九に〇年代には深刻なインフレが幾つか生じています。しかし、いずれの国でも、きちんと課税し、歳出をカットすることで、インフレの進行を止めています。
ハイパーインフレは、財政に対する信用失墜によって生じますから、失われた信頼を取り戻さなくてはなりません。それによって、ハイパーインフレの進行をうまく止められれば、金融システムが破綻し、企業や銀行が相次いで潰れていく状態よりも、はるかに被害が少なくて済むかもしれません。
しかし、財政再建を実現できなければ、ハイパーインフレは止まるところを知らず、延々と続いていく。ブラジルなどはその好例です。同国では一九七九年から九四年にかけて、間歇的なハイパーインフレに見舞われていました。
その結果、ハイパーインフレが止まらなくなってしまったのです。最後は、一九九四年のレアル・プランという改革でインフレを鎮静化したのですが、これはブラジル通貨を米国ドルに完全に固定するという政策です。
つまり、自国の財政も通貨も信用を失ったので、米ドルの信用力に頼ってようやくインフレを抑え込むことができたのです。
こうした状態に陥るのと、ある年に集中して銀行破綻が続出するのと、どちらがマシか、一概には言いにくい。進も地獄、退くも地獄でしょう。
クライシス到来のポイント
2 一九二三年にドイツで起きたハイパーインフレでは当初、景気が上向いたかに見えたが、最終的には一〇の一二乗まで物価が上昇し、金融資産は紙切れ同然となってしまった。
3 財政再建の場合、長期にわたるものの、政治的プロセスを踏んで納得の上で税金を払い続けるので、我慢のしようがある。これに対してハイパーインフレでは、堅実な生活をしていた人から有無を言わさず財産を取り上げ、刹那的な生活をしていた人に分け与えるという不公正が起きる。また、ハイパーインフレは国民生活や社会関係を根本から破壊する。したがって、長い時間をかけて財政再建を実行したほうが、はるかに合理性が高い。」
〇 「3 焼け野原 scene3 」につづく