「ハイパーインフレのおぞましさ
小林 ここまで、財政状況を改善するには、消費税率を三五%まで引き上げることが必要という話をしてきました。
次に議論すべきは、こうした政策を行った方が、ハイパーインフレになるよりもはるかに望ましい、ということです。
橋爪 ハイパーインフレとは、短期間のうちに物価が数倍から数十倍に高騰する、激しいインフレのことでしたね。
国民の消費水準について言えば、消費税率を三五%まで引き上げた場合は約一・四%の低下で済むと先ほど申しましたが、ハイパーインフレの場合、それとは全く比べものにならない厖大なコストが生じるのは間違いありません。
橋爪 その点を詳しく考えましょう。
かりに一〇〇〇%のハイパーインフレになったとすると、国民の資産はどうなりますか。
小林 一人当たり、約一〇〇〇万円の資産が失われる計算です。
橋爪 じゃあ、消費税を三五%に増税した場合は、どうなりますか。
小林 その場合は、やはり約一〇〇〇万円の資産が、政府に移転することになります。その意味では変わりがないとも言える。
橋爪 ただし、何十年もかけてゆっくり移転する、のですよね。
小林 そうです。だから、国民には痛みが少ない。
ハイパーインフレの場合、景気が急激に悪化して成長率が低下し、国民生活が甚大なダメージを受けます。無数の企業が倒産し、失業者が急増するでしょう。金利の上昇で、住宅ローンが返せなくなり、自己破産する人も続出するはずです。
消費税増税なら、導入一年目は景気が相当冷え込むとしても、その後は安定して来る。企業倒産も、そう酷くはないはずです。
橋爪 「個人から政府へ、結局、一人当たり一〇〇〇万円の資産の移転が起る」という点は変わらないとしても、風をひいて微熱があるのと、肺炎をこじらせて死にそうになるのと、ぐらいの違いがありますね。
消費税増税では、総額が、一人当たり一〇〇〇万円でも、五〇年間にならせば、毎年二〇万円です。
これに対して、ハイパーインフレは、いきなり、一人当たり一〇〇〇万円もの資産が失われてしまう。ドロボウのようなものです。
小林 別な言い方をすれば、現金や預貯金に、税率九〇%の資産税が突然課されるようなものです。
橋爪 しかもインフレは、不公平です。
消費税なら、誰でも消費はするので、公平です。まんべんなく、負担する。
でも、ハイパーインフレだと、預貯金を持っている人だけが狙い撃ちにされる。不動産で資産を持っている人だと、値上がりで、かえって得する可能性もある。借金がある人は、負債がチャラになる。このように、健全な経済関係、社会関係が、破壊されてしまいます。
小林 たしかにハイパーインフレによって、負債を抱えている人へ、貸した人から所得が移転することになる。国民が合意を与えてもいないのに、政府や政権者へお金が渡ることになってしまう。
橋爪 ハイパーインフレが破壊する社会関係には、金銭に換算できない価値があります。壊れると容易に修復できません。単なる不景気ではすまない打撃となって、深い爪痕を残すでしょう。
いっぽう、消費税を三五%にしても、計画的に実施すれば、潰れる企業や銀行は多くない。人々にとっても、受け入れ可能な負担です。しかも税ですから、国会の議決を経ている。自分たちで決めたことだと、国民が納得する。意見も言える。
一人当たり一〇〇〇万円もの資産が移転するのを、自分で納得して行うのか、それとも、降ってわいた災難みたいになるのか。この違いはとても大きい。
「自分の人生の主人公である」ことが幸せの条件であるなら、ハイパーインフレに見舞われた人間は、絶対に幸せではありません。
小林 おっしゃるようにハイパーインフレは、社会に対する基本的な信頼を毀損してしまいます。しかも、一度失われた信頼を取り戻すには、相当時間がかかる。
アルゼンチンの財政が破綻したのは二〇〇一年のことですが、今でもこの国の銀行は住宅ローンを取り扱っていません。
一〇年以上経ったというのに、住宅ローンという商品を売る状態にないわけです。
(略)
もし日本でハイパーインフレが起きたなら、住宅ローンが組めなくなる可能性が高いですし、生活基盤も大きく損なわれてしまうでしょう。しかもその状態が一〇年、二〇年と続いていく。
橋爪 多くの人々、ことに高齢者や弱者には、死ぬほど辛いことです。」