読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ジャパン・クライシス

「あとがき

日本の財政が悪化している、ということは誰でも知っています。このまま財政再建ができず、「財政破綻」のような事態になると、国民生活はどうなるのでしょうか。本書では、かなり踏み込んだ予想を大胆に議論しました。正直に言って、現在の経済学の理論や実証研究からは、「財政破綻」で何が起きるかを確実に予想するということはできません。


だから、本書のシナリオが絶対に起きる、とは断言できません。しかし、「論理的に考えて、かなりの確率で起きるだろう」と思えることは、少し大胆でも、敢えて書くことにしました。


確実ではなくても、かなり高い確率で起きるかも知れないのなら、最悪の事態について警鐘を鳴らすのは政策科学に携わる者の責任だと思うからです。


しかしこういう考え方は少数派かもしれません。あとで「間違っていたではないか」と人から指摘される可能性があるようなことは、思っていても口にしないのが学者の処世術です。しかし専門家が「財政破綻が起きると一〇〇%断言できるわけではないから……」と考えて沈黙しているとしたら、それは大きな不作為、すなわち、重大な政策選択をするチャンスを日本国民から奪うような不作為になるのではないか、と思うのです。



政策を司る者や政策を研究する者は、楽観論に流されず、一般の人が日頃考えないような最悪の事態を常に想定して備えをすることこそがその存在意義なのだと私は考えています。本書はそういう思いを橋爪先生と共有できたことで生まれました。



というわけで本書では最悪のケースばかりを論じていますが、必ずこのシナリオ通りになると言いたいわけではありません。むしろ、わたしたちは本書の予想は外れてほしいと切に願っています。
言いたいことは、最悪のシナリオを防ぐための政策を今実行するべきだ、ということなのです。



私がこの対談に参加した動機は、私の年齢(四〇代)も関係しています。いまの四〇代はこれから財政破綻のコストをもろにかぶることになりそうだからです。


日本の財政の現状を考えると、これから数年はなにごともなくすぎるかもしれません。本当に危機的になるのは、いまから一〇年後~二〇年後でしょう。本書のシナリオのように危機的な状態から回復するまでに、さらに一〇年~二〇年の歳月がかかるとすると、いま四〇代の筆者は悲惨な老年期を過ごすことになります。



今の七〇代、八〇代の人は財政破綻が起きる前にこの世を去ることができる「逃げ切り」世代かも知れませんが、いまの三〇代、四〇代、五〇代、六〇代の人は逃げきれないのです。


(略)


本書は、増税や歳出カットのい痛みがあっても財政を再建しなければならない、という当たり前のことを主張しています。当たり前のことができなければ、私たちの老後は悲惨なことになる。先人が築いてきた経済大国の土台は崩れ、子孫に遺せるのはみずぼらしく窮乏した日本になってしまうかもしれません。


この本をきっかけに、日本の財政のこれからを、自分自身の問題として読者の皆さんに考えていただければ幸いです。


(略)


       二〇一四年晩夏     小林慶一郎」


〇 ということで、この本は終わっています。
あとで「間違っていたではないか」と人から指摘される可能性があるようなことは、思っていても口にしないのが学者の処世術です。」と言いながらも、敢えて警鐘を鳴らそうとしたという言葉に感銘を受けました。


今日も株価は大幅反落です。不安はあります。
それでも…と私は思います。あの山本七平さんの書いた本にあった悲惨さより、どれほどマシか。
酷い人も愚かな人もたくさんいる。でも、しっかりした人も賢い人もちゃんとした人も大勢いるのが、この私たちの国です。


どれほどの困難にあっても、きっと必ずそこを潜り抜けて、また私たちの国は元気になる。そう信じます。例え、ハイパーインフレになっても、食うや食わずになっても、多分、あの戦争で亡くなった人々よりはずっとマシ、と思えば、私はなんとかやって行ける。

だから、戦争だけはやめてほしい。何故なら、この日本で戦争を始める人は狂っている人だからです。それは、あの太平洋戦争で嫌になるほど分かったことです。
そんな狂った人に引きずられて、戦地に子どもを送り出すことだけは、しないでほしい。

それ以外のことなら、私はどんな苦しみも受け入れます。

これで、この本のメモを終わります。