読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍

〇 山本七平著 「一下級将校の見た帝国陸軍」(昭和51年12月朝日新聞社刊)を文春文庫で読んでいます。

感想は〇……で、抜き書きは「  」でメモします。
文字使いは、原本通りではありません。意味が違わなければ、PCの変換に任せています。

「”大に事(つか)える主義”

思い返すと不思議なことが多いが、その原因の一つは、昭和初期の学生は今よりも非政治化・非社会化しており、良く言えば純真、悪く言えば幼稚、概していえば内攻的だったことにあると思う。


マスコミは今のように巨大化しておらず、テレビ・民放・週刊誌・ペーパーバックの洪水もなく、情報といえばNHKと新聞だけ、だが学生はそれらに左右されず勉強に専念すべきものと規定され、そのため一言でいえば今より「世間知らず」で世馴れていなかった。



面白いことに当時の出版物の主力は人生論であり、また当時の思い出として、徹夜して「人生とは何か」を真剣に論じ合ったことを、一種不思議な思いで回顧している人も少なくない。時代の風潮であろうか?それを今では本人さえ不思議に感ずるのだから、当時の普通人の意識は、今の人にはなかなかつかみにくいであろうと思う。」



在郷軍人らしい服装と、故意に誇張した軍隊的態度の為一瞬自分の目を疑ったが、それは、わが家を訪れる商店の御用聞きの一人、いまの言葉で言えばセールスマン兼配達人であった。


いつも愛想笑いを浮かべ、それが固着してしまって、一人で道を歩いている時もそういった顔付をしている彼。人当たりが良く、ものやわらかで、肩をすぼめるようにしてもみ手をしながら話し、どんな時にも相手をそらさず、必ず下手に出て最終的には何かを売って行く彼。それでいて評判は上々、だれからも悪く言われなかった彼。その彼といま目の前にいる超軍隊的態度の男が同一人とは_。


あとで思い返すと、あまりの意外さに驚いた私が、自分の目を信じかねて、しばらくの間ジィーッと彼を見つめていたらしい。別に悪意はなく、私はただ、ありうべからざる奇怪な情景に、我知らずあっけにとられて見ていただけなのだが、その視線を感じた彼は、それが私と知ると、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン、ボサーッとつっ立っとらんで、手続きをせんかーッ」と怒鳴った。


そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ、何やかやと罵倒と嫌がらせの言葉を浴びせ続けられたが、これが軍隊語で「トッツク」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った。



軍隊との初対面におけるこの驚きは、その後長く私の心に残った。そのためか大分前、ある教授に、ある状態で”ある役つきの位置”におかれると一瞬にして態度が変わるこの不思議さについて話したところ、これは少しも珍しくない日本人的現象だと同教授は言った。



学生に何とか執行委員長とかいった肩書がつくと一瞬にして教授への態度がかわる。ついで就職ともなれば、一瞬にしてまた変わる。社員になればまた一瞬にして変わる。それは少しも珍しい現象ではない。



そして_と教授は続けた_その人がその後に”御用聞き”として現れた時は、また一瞬いて変わっていたでしょう。そしてそこのこと、矛盾友不思議とも恥ずかしいとも感じていなかったでしょう、と。「その通りでした。だがどうしておわかりですか」
私は尋ねた。「わかりますよ。いまの学生がそうですから、昨日まで”テメェ”呼ばわりしていた学生が、平気で就職の推薦状をもらいに来るんですから。



そしてr就職すれば平気で社長のような口をきくんですから。あなたと親しいF教授
大学騒動よりむしろこれに耐えられずに退職されたのです。この傾向は、一部の人が言うように戦後の特徴でなく、戦前から一貫しているわけですよ」




「どうしてそう無限即なのでしょう」私は思わず言った。教授は答えた、「無原則ではなく、これが事大主義すなわち”第に事える主義”です。その点では一貫しているわけです。



御用聞きにとってお顧客は”大”でしょう。だからこれに”つかえる”わけです。ただそのとき彼は、自分より”小”なものに対しては、検査場であなたに対してとったと同じ度を取っていたはずです。あなたが異常と感じられたのは、自分の立場が一転したからで、その人の方はむしろ事大主義の原則通り一貫しているのです。ということは徴兵検査場では、徴兵官に対して、かつて貴方に対してとったと同じ態度をとっていたはずです。そうだったでしょう」


「その通りです」私はその時の情景を思い出して言った。(略)
そしてこの、事大主義に基づく一瞬の豹変は日本人捕虜に見られ、また日本軍の捕虜の扱い方にも見られ、さらに戦後では、公害運動家の一部にさえ見られる。



従って、この”素質”を単位として構成された帝国陸軍が、徹頭徹尾”事大主義的”であったのは、むしろ当然の帰結であり、それ以外のことが望めるはずはなかった。」


〇 いつも感じるのですが、この山本氏のいう「事大主義=日本人気質」は、間違いなく私自身の中にもあります。長い長い長い間かかって、先祖からずっと受け継いでいる、と感じます。せめてそうじゃなく振舞おうとすると、「偽善」っぽくなるほどに、その嫌らしい気質の方が私自身です。