「双眼鏡で眺めれば、ラフ島には人影は見えず、島の北端のラフ町はうす汚れた無人の廃墟となり、屋根の落ちた煉瓦建ての教会堂だけが、くっきりと見える。島の西端から、点のような一隻の小舟が左岸へ進んでゆく。行く先は明らかにあの隠れた入り江で、そこからかすかに煙があがっている。川はすべてを無視したように、全く無表情に流れて去って行く。
戦場で、一種、やりきれない気持ちになるのは、こういう風景を見た時だ。(略)
観測機材皆無のヤマカン射撃だから、初弾がどこに落ちるか見当もつかない。従って二人で地域を分担して肉眼観測をする以外にない。
準備完了!「撃て」、轟音とともに砲車が跳ね上がり、砲身は後退し、無事に復座した。ほっとした。この十二榴が本当に無故障なのか、あの奇妙な砲弾は本当にそのまま撃ってよいのか、分隊全員が一瞬で死ぬ恐ろしい腔発事故(砲身内での砲弾爆発)が果たして起こらないですむのか、私には見当もつかなかったからである。
従って射弾より砲車に注意を奪われていた。
弾着は大体十秒後だから、砲車の「異常ナシ」を確認してからその方を見ても十分に間に合うのだが、何やら慌てていたらしく、どこにも弾着が確認できない。そのときA上等兵が「少尉殿、ア、あれ!」といって指さした。見て私も驚いた。
危急のとき、人が思いもよらぬことを口走る例は、戦場では珍しくない。結局、弾底信管では、深く水中にもぐった砲弾が尾部から破裂して、上へ円筒上に水を噴き上げる形になるからであろう。だがそういう砲弾をジャングルや河岸の軟らかい土に打ち込めば、砲弾は深く土中にもぐり、円筒状に上へ土をはねあげるだけのことであったろう。
だが私はまじめに射弾修正をしつつ、この砲撃を約一時間つづけた。あの小舟は驚いたらしく、急に速度を早めて入り江に入ってしまった。(略)
おそらくゲリラは、最初は驚いても、なぜこんな効果のない砲弾を一心に撃ち込んでくるのかと、こちらの真意をはかりかねて首をかしげたであろう。日没とともに砲を撤収し、夜、立派な「報告」を書いた。翌日、その砲の位置は米機の猛爆を受け、一木一草まで一掃された。
効果があったとすれば、米軍に無駄な爆撃をさせたことぐらいであろう。そして皮肉なおに、これが私が指揮した最後の砲撃であった。結局、砲兵としての私の職務は、員数で終わったのである。
一体この員数主義はどこからきたのであろうか。これが日本軍の宿痾であったことは、各人が身に染みて知っていたので、前述のように、収容所でも話題となった。」
(つづく)