読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(参謀のシナリオと演技の跡)

「荒縄をぶった切り、箱をこじあければ、砲弾と薬筒が出てくる。野砲までは分離薬筒でないから、構造は小銃弾と同じである。従って薬筒の底に起爆薬がついている。それを叩けば爆発する。こんな危険なものの輸送に住民は使えない。



一方、私は、あらゆる人員_砲弾輸送のため必要な人員と、その人員の食糧や水を輸送するための人員も含めて_を計算し、合計して延人員を算出した。一万三千人、約一個師団である。(略)




砲弾はやっとカワヤンの舟着場につき、軍が徴用したタバカレラ(スペイン系葉タバコ会社)の民船を横取りして積み込み、ラロまで運んだ。それをジャングルに運び込むため、あらゆる遊兵がかり集められた。だが、結局それも全部そこへ捨てて、師団はバレテ峠目指して転進した。私が砲弾を運んだ道を、そのまま逆行したわけである。



なんでこんなバカなことになるのか。だが、その状態は砲弾輸送だけではなかった。すべてが同じであった。砲弾輸送の目途がつくと、私は、指揮班長に命ぜられて「奉誠台」の「赤はげ」に行った。これはジャングルの中に、まるで人工の土まんじゅうのような形でぽつんと開けている、樹木のない堆土であった。(略)




「いいか、山本。時間はもうない。砲車をジャングルに入れるのが先決だ。概略の位置と進入方向さえ確定できればいいのだ。大まかな座標で関係位置が出せればよい。短基線交会法でやれ、かまわん、あとは導線法をつかえ、その側距に定距法と定角法を併用してよい」



指揮班長は言った。これには驚いた。というのは、こういう方法は遭遇戦などで、何でもよいからまず諸元を出せ、あとは射弾で修正するという方法だからである。だがそれも無理はなかった。やっと支給されたのが観測車一台。しかも中の機材は完備していない。(略)




だが、どんなに事態が切迫しようと、兵士たちは、あの草薙自動車隊の老准尉のように、最後まで冗談を忘れなかった。娯楽皆無の戦場では、これがなければ生きて行けない。それは、少々エロ的なコントをまわし読みするような形で行われるのが普通だった。



私が「赤はげ」の頂上に標柱がわりに竹竿を絶てると、観測下士の岸軍曹が、間髪入れずに「ピンクの裂け目にサオを立てるたぁ、縁起がいいや」と言い、兵士はどっと笑った。



そしてだれかが小声で「ミヨちゃんの……」と言った。岸軍曹は笑いながら怒った表情を見せ、「バカ、気やすく言うな」と答え、一同はまたどっと笑った。
岸軍曹は自称「江戸っ子」で「巣鴨の生れよ」が口癖、二言目に出てくるのが婚約者「ミヨちゃん」の名であり、従って部隊本部でこの名を知らない者はなかった。



彼は目がくりくりして、挙止動作が大きく、すべてが少々芝居がかっていて、年中笑いう笑わせていた。私も何度か「ミヨちゃん」の写真を見せられた。「いい女でしょう。少尉殿、ほんにいい女でしょう。いや動員前の外泊のとき、二人で上野に行ったんでさあ、あいつが電車に乗ると、車内の視線がパーっとあれに集中するんでさあ。



そりゃもうだれだってそうなりまさあ、だがこの写真はねえ、ここんとこがちょっと違うんです……」彼は手ぶり身振りで「ミヨちゃん」との最後のデートの話をする。そのときは丸い目が生き生きして、本当に楽しそうだった。だが、その岸軍曹ももう居なかった。



彼はオリオンに転進したが、後できくと、私が「天の岩戸」についたころには、すでにこの世の人ではなかった。」




「また、すでにゲリラが占領しているラフ島は目の下に見え、双眼鏡で見れば、機銃を持った数人がこちらを見ている。彼らはすでに5号道路まで制圧していた。
いずれこの前面の海面を圧して、上陸用舟艇の大軍が殺到して来るはずであった。




それが水陸両用戦車を中心に、前面の乾田地帯に展開して前進すれば、それぞれの標点で徹底的な猛射をあびるはずであった。これらすべての「はず」は、結局、大本営や方面軍司令部の参謀たちが勝手に書いたシナリオではそうなっているというだけのこと、



そしてそのシナリオに応じて師団の参謀たちは空虚な「大熱演”を演じ、その熱演に自ら酔って発した放言が、命令となり指示となって四散し、それによって人々が次から次へと死屍になっていっただけであった。



兵士たちは、不思議なリアリズムを持っていた。もっていて当然である。彼ら、特に召集の老兵たちは、社会人としての経験と目をもっている人たちであった。その目は、何かの徴候で、すべてを虚構と見破って不思議ではなかった。



だが、それに抵抗はできず、それを口にすることはできず、「要領」によって、虚構には虚構で対応し、それによって生きているわけであった。「軍隊は要領だよ」「バカ、要領をつかえ、要領を」当然なように、日常用語として使われるこの言葉は、何よりも鋭くこの実態を示していた。




私は、観測所の上から、アパリの正面に別れをつげた。それは何時間見ても、見飽きぬ光景であった。1年近い全労苦はここに投入されており、双眼鏡にうつる一木一草まで何ともいえぬ愛着があった。だが、それらの中で演じられた一切の無益な演技はすでに消えて、その痕跡も影がうすれ、急速に自然へともどりつつあった。(略)



だが、砲の破壊の筆記命令はうけとっていなかった。いや、それがだれの命令かも明らかではなかった。そしてそれがどういう運命に通じるのか、「天の岩戸」に来た時さえ、私には、自覚がなかった。




出発の時間である。日の光のあるうちに、密林の前端に出て、超人的夜行軍で、日の出前にビタグの隘路にすべり込まねばならぬ。だが、われわれは、敵の戦車隊(?)がすでにバガオに突入していることを知らなかった。



水牛と人力によって、山砲二門はのろのろと動き出す。その8時間後に、この二十名
大部分と、生涯二度と会うことのない状態に陥ろうとは、私は夢にも考えていなかった。」