読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(最後の戦闘に残る悔い)

「とはいえ食糧を盗奪せねば餓死する。だがジャングル前端付近の二、三家族用と思われる家屋群は、元来、米はほんの家族自給用で、本業はジャングル内の籐を切り出し、これを華僑の集買人に渡して石油・布・塩などの生活必需品と交換していたらしく、納屋の中は全部、きれいに割って切り揃えた籐のたばであって、米ではない。




その前方の部落も生業の半ばは籐の採集だったらしい。全く、人跡未踏と思われるところにも、必ず華僑の足跡はあった。そしてY自動車I少尉が、地区隊命令を無視して十名の部下とともに大胆にもこの家屋の移ったのが、確か7月中旬であった。


もちろん、命令などはどうでもよいが、この家を根拠地とする食糧盗奪は、非常に危険といわねばならない。もちろん彼は、それを十分知っていたのだが……。




どの小部隊も、さまざまな悩みをかかえていた。まず病人である。マラリアアメーバ赤痢、慢性の下痢、熱帯潰瘍、極端な栄養失調、脚気、これらはすべての人間がかかっているから病気のうちに入らない。動けるか動けないかだけが、健康・病気の違いである。




かろうじて動ける人間は、大体半数、ひどい部隊は三分の一。そのため、動けない病人をなるべくジャングルの奥の水際におき、ついで、動ける者が食糧盗奪に出なければならない。だが食糧のほとんどは住民が持って逃げており、その残りを手近なジャングル前端から順次に盗奪しつくすから、出撃距離はしだいに前方へ、米軍の近くへとのびていく。




そうなると、危険が増し、能率がおち、従って中継地が必要になる。一方、米軍の戦車道はしだいに先へとのび、危険は日々に増大していく。戦車道とは、いまの言い方に変えればキャタピラ道で、米軍は攻撃を仕掛ける前に、必ず、キャタピラ付き兵員武器輸送車の通れる道をブルドーザーで切り開く。従って、その道路ののびて行く方向が、敵の次の攻撃地点である。



だが彼は、一応、元気な部下だけ十名を選りすぐって、この危険きわまる場所を中継基地としたのであった。



比島の奥地の農民は、稲の穂先だけをつみ、これを束ねて高床式の納屋に入れ、一日分だけを臼と手ぎね脱穀する。これは、籾でおかないと雨期に腐ってしまうからだという。このたばねた穂の一束を「マノホ」といい、日本軍は専らこれを狙った。(略)




それでも、一日ついてやっと一人前二日分である。I少尉がどうにもならなくなってジャングルから出て来た理由はここにあった。(略)




危険は確かに危険だが、もしこれをしないなら、動けない病人は、放置して餓死さす以外に道はない。彼にはそれが出来なかった。そしてそれが、出て来た理由であった。(略)



二人は確かに同じ少尉だが、彼の方が一期上、ジャングルには進級がないというだけで、内地にいたら中尉だっただろう。その時初対面だったのだが、妙に気が合った。彼はこの土壇場にいて、不思議なほど明るい顔をし、動作はキビキビし、生気のある目は生き生きとしていた。


彼は私の形式的な命令伝達を平然と一笑に付し、愉快そうに笑いながら、私をからかった。
「山本少尉、貴官はお殿様だからな。こちらの苦労はわかるまい。手足のように動く、ピンピンしている部下八名だけで、ジャングルの前端に頑張っとるとは、いい御身分じゃ。


確かに敵の掃討戦がはじまりゃあ、真っ先にオダブツじゃろうが、どちらにしろ一日か二日の差よ。それならそれまで、それを覚悟で、貴官と同じようにやりたいと思っただけよ」
こう言われると、私も一言もない。」