読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(死のリフレイン)

「車座の中に立つ二人は、本職ショオ・ダンサーだったのかもしれぬ。兵士にはあらゆる職業人がいるから、それは不思議ではない。この二人がぐでんぐでんになりながら、車座の合唱に合わせ、踊りとももつれあいともつかぬ、奇妙な所作を演じはじめた。そしてその歌こそ、戦後に最初に耳にした歌であった。(略)


言うまでもなく、これは「ワイ歌」である。(略)
女性から完全に遮断された戦場で、性的飢餓ともいう状態が生み出す兵士の妄想、それがそのまま歌になったような歌であった。日本軍にもこういう歌はあった。(略)



それは文字通りの痴態であった。とはいえ、このメロディーには、何ともいえぬ一種の暗さがあり、彼らがいかに陽気にはしゃいでも、その暗さは消えなかった。(略)



私はふと、予備士官学校で見せられた無声の「教育映画」の一画面を思い出した。それは、アフリカの奥地のフランス植民地から駆り出され、マジノ線の配備につかされている黒人兵の踊りの場面である。(略)



教官は「国家への忠誠を知らぬこのような野蛮人を配備したのでは、鉄壁のマジノ線も一瞬にして崩壊して当然である」と言い、忠誠心と精神力についての精神訓話でその映画は終わった。


”野蛮”、あれを野蛮というなら、いま私が見ている”画面”は、それに劣らず”野蛮”であり、さらに猥雑であった。野蛮、一体「野蛮とは何なのか」。彼らが野蛮ならアメリカ人はもっと野蛮であり、われわれも、少なくともそれと戦えるほどに野蛮ではなかったのか。



そして前線とは、それがマジノ線であれ、サンホセ盆地であれ、そこに投入された人間に、殺し合いという狂気の乱舞を強いるという点では同じであり、その乱舞はこの踊り以上に野蛮ではないのか、事実、おそらく石器時代以来戦争というものを知らなかったサンホセ盆地の住民にとって、必死になって殺し合う日米両軍はともに、彼らには想像できぬ狂人の集団だったらしい。(略)



その瞬間、何かの緊張感が背筋を走り、空白の脳裡にある光景が甦ってきた。「おれはきいた。このメロディーは、風に乗って、あのとき確かに、かすかに聞こえて来た、あ、あれはあの時だ、もう一度は、あっ、あの時だ」。



暗黒の中にそれは、どこからともなく微かに流れて来た。死にそこなったに等しいあのとき、「もうダメだ」と観念したそのとき、嘲笑うかのように、また死の方にいざなうかのように、それはかすかに聞こえてきた。考えてみれば、そうであって少しも不思議ではない。



戦闘中、このメロディが聞こえる場所にはまり込んだということは、確実な死が目前に迫ったということだから_。だがこの曲の歌詞がこんな意味とは、そのとき私は夢にも思わなかった。(略)



ところがその正面はビダグの隘路、七月十二日(?)の斬り込みでH中尉が射殺されたその場所、その隘路の向こうがバガオの町、七月五日(?)に、敵がそこを完全に占領しているとは知らず_いや、知らずと言っては嘘になるが_跳び込んでしまったその町であった。(略)



だがこの場を正面から見据え、しかも背後からあの曲が聞こえて来ては、よみがえってくる悪夢を振り払うことは、もうできない。
この曲をかすかに耳にしたのはあのとき、バガオへの渡河のあの時が最初であった。


敵地で、英語の歌詞らしきものが、奇妙な曲に乗って流れて来たのに、私はあまり警戒心を持たなかった。フィリピンは英語圏であり、その流行歌は英語であり、また彼らはラテン系諸民族と同じように天性「歌と踊り」が好きな民族、無意識のうちに常に何かをくちずさんでいた。」