読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(組織と自殺)

「何もない。やはり敵はいない。「フン、またデマか、時間を無駄にさせやがって…」と思った瞬間、焔の少し先の道路にチラチラと動く黒い人影が見える。「オヤッ」と思い、四人が反射的に銃をかまえた瞬間、すぐうしろで「ピーッ」という呼子とも指笛ともつかぬ音がし、同時に、ダダダダッというものすごい機銃の発射音が耳もとでした。「伏せろ!」しまった、前後に敵が_だが、銃弾は私たちの方に飛んで来なかった。



あとでわかったことだが、偶然に偶然が重なると、「ありえないはずの事故」に似たことが起る。大体こちらが斬り込みに行かない限り、暗夜に米軍と鉢合わせすることは絶対にないと言ってよい。


だが万が一にも鉢合わせしたら、次の瞬間、彼らはそれを斬込隊と思い込み、恐怖のあまり、異様な反応を示して不思議でない。私も見たあの黒い影を、彼らは、ビダグの隘路から出撃して来た斬込隊と誤認したのであろう。それが、「恐怖の応酬」となり、その真ん中に、それとも知らずに私たちがまぎれ込んだわけである。ところがこの黒い影は、塩をとりに来た貨物廠の老招集兵たちで、斬込隊ではなかったのである。(略)




彼らは後方部隊だから私たちよりはるか近距離から出発したのだが、塩の重みと体力欠如のためにおくれにおくれ、私たちが「天の岩戸」を出た頃に丁号道路を出て、歩兵の渡河点をわたってバガオへ入ったわけである。



そこですぐにビタグの隘路に入ってしまえば何でもなかったのだが、十数日もジャングル内を歩きつづけて来た者には「家への誘惑」は実に強い。疲れ切った彼らは塩を下ろして家の中で一休みし、禁じられた火をたいて衣服などを乾かしていた。



そのとき、軽戦車(?)を先頭にバガオに突進してくる米兵が見えた。たまげた彼らは、何もかも放り出してビダグの隘路に逃げ込んだ。米軍は、一発もうつことなく無人のバガオに突入したわけである。(略)



ところが、逃げ込んだ老招集兵の方は、支隊長にこっぴどくどやされ、「塩を奪還してこい、塩なしで生きて帰るな」と厳命された。そこで彼らは、深夜を待って、米軍に見つからぬように、恐る恐るバガオんびもどって来たわけである。(略)



老招集兵たちは、おそらく恐怖が先に立ち、最短距離を夢中で直行し、ただただ塩をひっかついで逃げようとした。それが命取りになった。
だがもちろん、その時それがわかったわけではない。否、気が動転して、何が何やらさっぱりわからず、全員、反射的にピタリと伏せ、体をよじって向きを変え、重機の発射音の方向に銃をかまえた。


背後から不意に射たれるのは異様な恐怖で、反射的にろを向いて銃をかまえるという点では、日米両兵とも差がない。だが、その結果私たちは、火を背にして暗闇に対抗する結果となった。


「しまった、火が廻ってきたら、こちらの姿が見えるが、相手は見えない」と思うとますます気があせる。頭に血が上り、脱出路はないかと反射的に闇の中を探す。だが、銃弾が自分の方に来ず、ほっとして、少し落ち着くと、彼らが目標をつかんでいないことはわかる。(略)



まことに妙なぐあいに私たちは、ビダグから出撃して至近距離に迫った斬込隊のような位置にいた。だがこの脱出方法をとれば、私は「砲と部下を捨て、自分だけが安全地帯に逃げ込んできた砲車小隊長」という位置に立たされる。これは、絶対に許されざる位置であり、死と屈辱の座であった。



そのため本能のように、砲車の方へ脱出しようとする。その行為を「あくまでも砲車小隊長の責任を遂行しようとした」「責任感旺盛な模範的将校」とすれば「美談」ができる。それで戦死すれば勲章かもしれぬ。「爆弾三勇士」をはじめとする戦争中の美談を読み返すと、私はいつもこの日のことを思う。



こういった美談の主人公が陥った状態とそれへの対応は、決して「美談通り」ではなかったはずだと。みな「屈辱の座」への恐怖から反射的に行動したはず、それは「責任感に基づく意志」の結果よりもむしろ、交通信号通りに進んだりとまったりする、条件反射的行動に似ていた。」