読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(組織と自殺)

「私はこの妙な気持ちを、収容所で海軍の老下士官に話したことがあった。彼は、「そうでしょ。特に夜ですな。艦が沈むときもそんな気になります。すぐ沈むと理屈ではわかっていても、白波の波頭だけがかすかに見える真っ黒な海に甲板から飛び込むのは、何となく尻込みしますなあ、甲板でじっとしていた方が安心なような、一分でも余計に、そこにいたいような、案外、沈まないで持ち直すんじゃないかといったような気がして……」と言った。(略)




火の手が迫るのにまだ少し時間がある、そのうちに射撃もやむかもしれぬ、といった空頼みが、心のどこかにあったのであろう。だが、不意に左手がパーッと明るくなった。ニッパハウス群の火事は、どこに飛火するのか見当がつかない。反射的に火光から逃れようと五人は右後方へ匍伏した。



その瞬間、敵は何かに感づき、余りの近さに動転したのであろう。重機は一気にこちらを向いた。発射音が、ガガガという一本の轟音になり耳が麻痺して音にならず、ただ、すぐそばで連続的に鞭を振られるような、パシッ、パシッ、パシ、パシという、音とはいえない一種の震動感だけが伝わって来る。



銃弾が「ピュッ」と感じられる間は「逃げろ」と反応できるが、パシッ、プスッが来ると、鞭で身体がすくむ動物のような状態になり、体がちぢんだようになって動けなくなる、「射ちすくめられる」とでも言おうか……。



そうなった瞬間、反射的にN兵長の言葉がひらめいた。「私の中の日本軍」で記したが、彼は、私の部下がトラック輸送の最中機銃掃射で全滅したとき、足に盲管銃創をうけながらただ一人生き残った運転手、トラックとともに歩兵部隊から転属して来た十年兵であった。




この老兵は涙を浮かべつつしみじみと私に言った。「あげんコトなりますと、身がすくんで動けんですケン。だがそこを、死にもの狂いで、ハイつくばっても射線から身をはずさんと、結局ヤラレますケン。(略)




私は、歯をくいしばって、右後方へ右後方へと匍い出した。そして体が動き出した瞬間、逆に、一瞬も早く逃れたいという異常な恐怖になり、頭に血がのぼって何もかもわからなくなり、立ち上がって駆け出しそうになる自分を抑えるのが精一杯だった。(略)


そしてただ「念仏」のように、「射線から直角に」「射線から直角に」と内心で言い続けていた。弾丸が来ると、人は反射的に反対方向に逃げるが、これは無意味だからである。



どれくらい匍伏したか、それはわからない。(略)_ふと我に返ると、砲撃以外の射撃はやんでいた。ホッとすると、悪夢からさめて身を起こしたときのように全身から力が抜け、一瞬茫然とした。全射撃時間もわからない。十分ぐらいとも思えたし、数時間にも感じられた。




振り返ると、ついて来たのはS上等兵だけ、そして何と、左前方に見えるはずの火の手が右後方に見える。右へ右へと匍っていたのがいつしか半円を描き、またバガオの方向で、半ばビタグの方を向いている。慌てて反転し、S上等兵と二人で、「今のうちに」と身をかがめてバラナン川の方向へ小走りに走った。



ほんの少し走った瞬間、ピュピュピュピュッと銃弾が身辺で風を切り、間髪入れずダダダッという発射が聞こえる。「しまった候敵器にひっかかった」。ぱたりと伏せ、夢中で匍伏する。少し離れ、脱出の可能性が出てくると余計に恐怖がひどくなり、狂ったように、小走りに走ったり、伏せたり、匍伏したりをくりかえす。




それはもう、目標を持つ人間の行動というより、ワナから身を振り離そうとあがきにあがく獣に等しかった。(略)




「死ぬか」「いよいよダメか」「おれも今日死ぬのか」「何日だったか今日は」「おれは何歳だったっけ」………不意に何やら空を踏んだと思った瞬間、排水溝とも地隙ともつかぬ、深さ一メートルぐらいの壕に、もんどり打って転げ落ちた。S上等兵はまだ私について来ている。(略)




少し落ち着き、壕からあたりをうかがって驚いた。火が後方に見え、それにかすかに照らされて前方にバガオ道の終点らしきものが見える。夢中になると結局、本能的に銃弾の逆方向に逃れようとするのであろうか?



私はいつしかバガオの東はずれの、ビタグの隘路への入口に近くまで来ていたのであった。夜明けはもう近い。一まずビタグ付近のジャングルで昼を過ごし、脱出路の見当をつけておいて、明日の夜に突破しよう。私はそう決心し、身を屈めて壕の中を歩きだした。



砲撃えは、コンベアで砲弾を送るように規則正しく継続していたが、それ以外の射撃はやんでいた。少し歩くと、S上等兵が私の背中を突いて警戒の合図をした。じーっと前を見ると、壕が終わるらしいところに、明らかに二名が伏せ、その背中らしいものが見える。



米兵か?まさか_では、単なる土民か?日本兵か?米軍の尖兵のゲリラか?S上等兵は、銃の安全装置をはずしてかまえた。私も拳銃を取り出した。二人は息を殺し、気づかれぬように近づいた。



近寄って声をかけ、反応の仕方で即座に射撃するつもりだったが、それは、塩の袋をい、半ば放心したように前方を見ている貨物廠の老招集兵であった。この二人も運よく壕に転げ込み、ここまで来た。しかしすぐ前方の隘路で規則正しく炸裂する榴弾を見て、途方にくれていたのである。



私は、隘路を越えてサンホセ盆地に入る気はなかった。砲を捨てて砲兵だけが逃げ込んだことが、不問に付されることはあり得ない。だれかが責任を問われる。私がいなければ、その責任は当然に臨時中隊長のS大尉がかぶる。(略)



わかり切っていたからこそビタグへ逃げ込もうとせず、今の今までバガオの近傍を、三人の部下を見殺しにしてまで、のたうちまわっていたのだ。部下を殺しても、ビタグに入ることはできない、ここで死ぬか、砲車の位置にたどりつくか、私にはもうそれしか道はない。



それだけ、それだけである。それは知っている。知っているからこそ「あの位置に立つこと」への恐怖は、米軍の銃弾への恐怖より強かったのだ。そうでなければ、だれが、のたうちまわってもビタグを避けようとするか。私が必死で逃れようとしたのは、米軍の銃弾よりその「位置」だったのだ。



前方に落ちている砲弾は、夜が白むとともにやむであろうし、弾幕といえるほどのものではないから、突破しようと思えば今でも不可能ではない。砲撃には必ず休止があり、何発目で何分休むかは、注意して射弾を数えればわかる。従って、ビタグを突破いない理由は、私にとっては、米軍の砲弾ではなく帝国陸軍の掟であった。