読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(still live, スティルリブ、スティルリブ…)

サンホセ盆地はそれほど広くない。意外に時間が経っていたのは、司令部に近づくとともに一種「勝手にしろ」といった気持ちになり、途中の民家で三時間近く昼寝をしていたからである。



薄闇が迫るころ、一枚の紙片をもって彼が現れ、「何もおっしゃらずにすぐビタグへお帰り下さい」と言いつつ、紙片を差し出した、「ビタグ死守の支隊命令です」何かを言おうとする私に、彼は、何も言わずすぐここから立ち去ってくれと強く言った。


私は何か言いかかった。しかし言葉が出ない。というのも、何が来るかわからぬこの小一時間、表面的には諦めとも、ふてくされとも、自己の運命への冷眼視とも見える心的態度を、一言でいえば「死ねと言うなら、いつでも死んでやるさ」といった態度を、意識的にとっていたものの、その底にあるものは生への渇望であったからである。



その間、土上に安座し、軍刀を肩にもたせかけ、肩肘をついて頬を支えて待つうちに、私はいつしか腹部の時計を取り出し、それを握りしめて頬を支えていた。立ち上がってそれに気づき、時計を再びズベラ・バンドの内側に戻した時、逆に、時を刻む音が耳の中で鳴り出してやまなくなり、それが耳鳴りのように私の思考を奪って言葉が出ず、同時にそれに追われるように私はろくに挨拶もせず礼も言わずにそこを去った。



従って、N軍曹が何をしてくれたかは、永久にわからない。ほぼ察しがつくことは、砲兵隊は分断され、戦砲隊はおそらくバガオで全滅したらしく、ビタグの隘路で戦闘中の残存部隊から、爾後の処置をうけたまわりたく、命令受領者が来ております、とでも言ったのではなかろうか。


ビタグに兵力が皆無なことは支隊長も知っている。司令部自身はすでにジャングルの中だが、なるべく多量に米を集めるため、一時でも半時でも、前面の平地を確保しておきたいのが人情であろう。



となれば、いまビタグでウロウロしている砲兵隊を活用しない手はない。その情況の下で、以上のように言えば、責任追及はひとまず棚上げにし、砲奪還のためバガオを逆襲せよと言うか、急造の歩兵となってビタグを死守せよと言うか、指示は二つにしぼられる。



そしてこの際、一応死守を命じて他部隊を増援に急行させ、責任の究明はその後とするのが常識であろう。さらに彼は、連絡に来たのが砲を捨てた砲車小隊長その人であることはもちろん、それが将校であるとも下士官であるとも言わなかったに相違ない。



戦闘中なら将校が来ず、連絡下士が来ても不思議でない。そして下士なら、直接引見せず、命令を与えて帰して当然であろう。これが、人目に触れぬうちに一刻も早くビタグへ去ってくれと彼が言った理由かもしれない。


私に命の恩人と言える人があれば、まず第一に彼である。だがあの重症の彼が、その後どうなったか私は知らない。


私はビタグへ戻った。追っかけるようにまた命令が来て、斬込みに出されることになった。すぐに二隊が編成された。各斬込み隊は十名で、携帯するフトン爆雷は六個、襲撃目標は敵の迫撃砲・重砲・戦車である。


だがどういうわけか、先発は他部隊のH中尉指揮、後発が私ということになった。目標は先発が迫と戦車、それが成功したら後発が重砲、失敗すれば後発も迫と戦車ということだったが、重砲の発射位置は私の方が的確につかめると思われたのが、不意の交替の理由かもしれぬ。




この急な入れ替えのため、情報の交換と引継ぎが必要になり、ビタグの隘路からやや下った平地で、昇り始めた太陽を背にしつつ、H中尉と私はきわめて事務的な打ち合わせをした。



彼は、背が高くやや猫背、軍刀を日本刀のようにベルトに差し込み、つるのこわれた眼鏡細紐で耳にかけ、巻脚絆に地下足袋といういで立ちだった。



その服装特に眼鏡が現代離れしており、私が思わず「大久保彦左ですな」というと、彼は、げっそりこけた土色の頬をゆがめるようにして、笑って言った、「あの時代の戦法ですからな、斬り込みは」。



言い終わると軽く私の敬礼にこたえ、何一つ特別な言葉を残さず、九人の部下とともに出発した。そしてその夜、隘路のビタグ側の入口付近の竹林で射殺された。



去って行く後ろ姿は、馴れた道を急ぐ人のように無造作だった。ああいう場所に行くとき、人は不思議にさりげなく行く。そして、さりげなく行く者だけが、本当に行く。だがその人が何も言わなくても、去って行くその背中が何かを語っていた。


もちろん、それまでの数日の偵察で、ジャングルにおおわれた稜線づたいに敵の背後に出、ある地点の絶壁に近い斜面を下りて下の竹林を通過すれば、不思議にそこには候敵器も赤外線遮断装置も設置されておらず、迫の陣地に近づきうることをわれわれは知っていた。(略)



襲撃は失敗だった。敵もさるもの、そこは、斬り込み隊をワナに誘導する誘いの隙だったらしい。(略)
日本軍が巧みに候敵器を避けることを知った彼らは、わざとそこに、候敵器も遮断装置も設置せず、重機を並べて待ち構えていたのであろう。そこへ踏み込んだ斬り込み隊は、恐ろしい位置に立たされた。


ポキポキという音を目掛けて、前からは重機の掃射、後ろは崖、それはまるで、壁の前に立たされて銃殺されるような形になった。(略)



「そのときH中尉殿が…」と、かろうじて生きて帰った一兵士が私に言った。「大声で、左にまわれ、左にまわれ、といわれ、軍刀で竹をバサッバサッと切り倒されました」発射と同時に、敵の耳にも音は聞こえなくなる。その瞬間大声をあげて竹を切り倒せば、闇夜の敵の注意は否応なくその方に向く。


部下を左に行かしつつ、彼一人、右へ右へ移動しつつ竹を切り、大声を出し続けた。逃れうる者は、その隙に、何もかも放り出して只夢中で左へと逃れた。一瞬銃弾が途切れ、ほっとした時にも、その声はなお聞こえ、いつしか「メン」「コテ」「ドウ」となっていたそうである。



だがその声も竹を切る音も発射音に消え、ばらばらの数人だけが、そのおかげでそこを逃れ得た。黙ってそれを聞きつつ、私は内心で呟いた、「オレが踏み込むはずだったのだが_いざという時、オレには到底そういう立派なことはできないだろう。少なくともバガオ突破のときのオレはそうではなかった」と_朝日をうけて、黙って稜線のジャングルへと消えて行ったやや猫背の彼の後姿が、眼底にやきついていた。彼は、私が戦場で会った唯一の本当の斬り込み隊長だった。」


〇 極限状態でもこんな風に振舞える人間がいる…。現実にそういう人は居た。