読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)


「もちろん司令部に行くと、典型的なそのタイプが控えていて、シメあげる相手を待っていた。「ドロガメ」というあだ名のK少佐参謀で、これはもう箸にも棒にもかからず、到底常人とは思えず、全ての人が疫病神のように嫌いかつ恐れている人物だった。


何しろ、わけのわからぬことを一方的に言いまくり、何かが気に障れば遠慮なく暴力を振い、将校を撲り倒すのが唯一の趣味で、罵詈讒謗を加えたことが自分おん偉大さを証明するかの如くに思い込んでいる人間だから、始末が悪い。



多くの被害者がいた。私が被害を受けなかったのは、一に「砲兵隊は閣下の所轄」のおかげであったから、一夜漬けのツメコミ勉強ぐらいは不平をいえた義理ではない、と後に思うようになった。だが奇妙なことに、司令部内の主導権を握っているのは、彼だと言われていた。


なぜそうなるのであろう。師団長の顔を思い出せば、その理由は見当がつく。彼らはみな専門家であり、責任者である。そして、あの「決心変更」の繰り返しを見れば「どうやっても、もうだめだ」ということは内心でわかっている。



実情はもう決戦どころではない。敗滅しかない。何をやってよいのやら、それすら本当はわかっていない。こういうときに、この種の人物がのさばり出す。



それは軍隊だけではない。会社の倒産のときも同じだが、私のようなOL的存在は冷然としていられるのでこの種の詐欺的人物の無知無能ぶりはすぐわかるのだが、幹部クラスはノイローゼ的状態の為かえって実態が見抜けない。



その状態は、一方では、神がかり的言動と暴力で超能力的雰囲気を振りまく大言壮語的言いまくり型人物への心理的依存となり、もう一方では、自分の専門分野に細かく介入させるという形の逃避になってくる。



それが細かいことまでうるさいが、主導権はこのタイプに握られる理由であり、従ってこれも、敗滅の一現象であろう。花谷師団長が大本営で高く評価されていても不思議ではない。



そしてそれは最終的には、どちらが上級者かわからないような形にさえなる。「慮人日記」には次のような例がある。「兵団の渡辺参謀は妾か専属ガールかしらないが、山の陣地へ女(日本人)を連れ込み、その女の沢山の荷物を兵隊に担がせ、不平を言う兵隊を殴り倒していた。


兵団の最高幹部がこのざまでは士気の乱れるのが当然だ。又この参謀に一言も文句の言えぬ閣下も閣下だ」。これに似た話は、収容所には腐るほどあった。いや、ありすぎてうんざりするほどだった。」


〇 なぜこうなるのか…その疑問に対する答えを探しながら、色々な本を読んでいます。そして、その答えに近いのではないか、と思ったのが、河合隼雄著「中空構造日本の深層」の中のこの言葉です。

「つまり、ここでまず強調したいことは、アメノミナカヌシという、明らかに中心的存在であることが名前によって窺われる神が、神話体系のなかで、ツクヨミと同じくまったくの無為な存在であるという事実である。」

「以上の考察によって、それぞれの三神は日本神話体系のなかで画期的な時点に出現しており、その中心に無為の神をもつという、一貫した構造を持っていることが解る(次ページの表参照)。

これを筆者は「古事記」神話における中空性と呼び、日本神話の構造の最も基本的事実であると考えるのである。日本神話の中心は、空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。」

〇 私は、なんら専門的な基礎を持たないただの一般人ですが…
自分なりに、あれこれ考えてみました。


中心に「無」や「空」を置く事で、無限に崇高で完全なイメージを各自がそこに託すことが出来る。

中心にあるものは、その「無限に完全であること」を自らにも課すし、
他からも求められる。
だから、その「完全さ」に耐えられないものは、いつも周りから追及を受け、
その立場から追い落とされるから、むしろ、何もしない、ただ、立場だけを
現す「役職だけの人」だけがそこに立つことになる。

中空構造日本の深層」には、このような言葉もあります。

「日本においては、長はたとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされるのである。」


〇 あまりにも完璧であることを求めるし、求められるから、「無為」であることが理想になる。
そして、「無為」であるから、危機の時には、何もできないし何もしない。

あの「ジャパン・クライシス」の中で、小林慶一郎氏は、

「あとで「間違っていたではないか」と人から指摘される可能性があるようなことは、思っていても口にしないのが学者の処世術です。

と言っていましたが、そのような考え方では、誰も何も出来なくなるでしょう。

太古の昔からずっとこのやり方でやって来たのが、この日本なのですから、
今さら変えるのは難しいかもしれない。

でも、このように中心に「無」「空」を置くからこそ、混乱の時、危機の時に、恥知らずの詐欺師的人間にその場所を占拠されてしまうのではないかと思うのですが。