読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)


「あてがわれた小幕舎の仕事場は、私一人の専用であった。机があり、その正面に窓があった。そこからは、乾ききった地表に炎熱の太陽が反射している、ひびわれた”運動場”が見え、そのはるか先の正方形の小幕舎が、将官たちの幕舎だった。


右隣は炊事、左隣は医務室。私は椅子にかけ、L米軍中尉からたのまれた未完の宝石箱を机上におき、彫刻刀を手にはしたものの、放心したように、ただ、ひびわれた地表を眺めていた。静かだった。本当に静かだった。時々、隣の幕舎から、海軍出らしいひょうきんな軍医さんが来て、その静寂を破った。


軍医さんは、ヘビースモーカーらしく、煙草の欠乏に悩まされていた。捕虜には酒・煙草の支給はなかったからである。彼は入口で必ず「ネ、山本さんよ、タバコについて、少し語ろうや」と言って入った来た。私は”ゲイジュツ品”の報酬としてのタバコを取り出し、半分に切って、それぞれ手製のパイプに差し、二人いっしょに、最後のいっぷくまで深々と吸い込んだ。(略)



時刻になると、この広い運動場を閣下たちは三々五々に食堂の方へ来る。(略)


私はその末席で、時々閣下たちの方を見ながら早めに食事をすますと、急いで自分の幕舎に引き揚げた。
何とも言えない違和感を感じ、二度と閣下たちを見たくない、という気がしたからである。




というのは、米軍支給の軍衣をつけ、二列に並んでもぐもぐと口を動かしている閣下たちは、前夜、私が想像していたような、打ちひしがれて懊悩しているような様子は全く見えず、何やらロボットのように無人格で、想像と全く違ったその姿は、異様にグロテスクに見えたからである。


といってもそれは閣下たちが、無口だったということではない。否むしろ饒舌であり、奇妙に和気藹々としていた。その日、マニラの戦犯法廷か”未決”(一コン)からここへ送られた新入りの閣下がいた。



その人は、「ヒエーッ、こんなご馳走を食べてよいものか」と頓狂な声を出した。
その食事は、今の規準ではもちろんご馳走でなく、学校給食よりややましな缶詰食であったが、確かに、一般収容所や囚人食よりはるかによい「人間の食事」の水準の食事であった。



また終戦間際のジャングル戦の段階では、閣下とてやはり、イモの葉の水煮しかたべられない人もいた。」


〇 この「饒舌で、奇妙に和気藹々としていた…」という閣下たちの雰囲気について、私はもちろん、何も知らないのですが、その違和感については、少し分かるような気がしました。

というのも、NHKスペシャルノモンハン」の一シーンが思い浮かんだのです。
この番組の中で、当時の帝国陸軍の軍人がノモンハンの作戦について振り返るシーンがありました。その人たちの実際の「会話のテープ」を聞くと、まさに和気藹々と世間話でもするように、昨日のお天気の話でもするように、軽い声で話していたのにびっくりしました。

何故なら、その少し前には、ロシアの戦車隊に向って、日本兵は、「ヤァーッ!」と叫びながら銃剣を振り上げて飛び込んで行き、次々と射殺されていた…という話を聞いたのです。
食糧や弾薬の補給もなく、もうこれ以上戦いを続けるのは無理だと、そんな突撃を取りやめる決断をした隊長は、辻政信からしつこく自殺を強要された、ということです。

どんなに拒否しても、一週間、毎日毎日「説得」のために人が来るのです。
そして結局、その「隊長」は自決しました。

そんな事実が語られた後に、のんびりと世間話でもするように、笑い声も混じった会話を聞いた時、この人たちの頭の中や心の中はどうなっているんだろう、と思いました。

でも、もっと言えば、あの福島の事故の後の原子力安全保安院の人々の雰囲気の中にも、同じものを感じました。

とんでもないことが起っているのに、人ごとのように話す人たちにびっくりしました。

何か問題が起った時、「きちんと対処することが出来ない幼稚さ」を感じます。
そして、多分それは、私自身の中にもあるのではないか、と思います。