読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「ただ奇妙に感じたのは、そのことが戦場への回顧につながらず、無意識の内にも逆にそれを切断するかに見える、それに応じて反射的に起った一連の会話だった。「一句いかがですか」「アハハハ、駄句りますか、御馳走を」とつづき、話題はたちまち俳句に転じた。


将官たちの間には、病的といえるほど俳句が流行しており、食事はたちまち句会となった。そして、「〇〇閣下」「✕✕閣下」とたのしげに声を掛け合いつつ語り続ける会話は、何の屈託もないご隠居の寄り合いのように見えた。


俳句以外の話題といえば、専ら思い出話だったが、それから完全に欠落しているのが、奇妙なことに太平洋戦争であり比島戦であった。話題は常に、内地時代、教官時代、陸大時代などの話や、それに関連する共通の知人たちの話など、いまここにいる将官たちにとって、絶対にあたりさわりのない話題であって、それが、たとえ偶然にでもだれかの責任追及になりそうな話題は、みなが無意識のうちに避けているように思われた。



この会話を録音して、それがどこの場所でだれが行った会話かをつげずに人々に聞かせたら、それらが、陸海空、在留邦人合わせて四十八万余が殺され、ジャングルを腐爛屍体でうめ、上官殺害から友軍同志の糧秣の奪い合い、殺し合い、果ては人肉食まで惹起した酸鼻の極ともいうべき比島戦の直後に、その指揮官たちによって行われた会話だとは、だれも絶対に信じまい。



だがこの傾向は、彼らだけではない。レイテの最後にも、内地のA級戦犯にも、これとよく似た和気藹々の例がある。その状態は一言でいえば、部下を全滅させ、また日本を破滅させたことより、今、目の前にいる同僚の感情を傷つけず、いまの「和を貴ぶこと」を絶対視するといった態度、というよりむしろ、それ以外には何もかもなくなったかんじであった。


だがこれは果たして戦前の将官だけの態度だったのか。環境が変わると一瞬にして過去が消え、いまの自分の周囲に、何らかの形で自己が充足できるような形で対応することにより、それだけで自己のすべてを正当化できるという点で、この態度と「虐殺の森」のか凄惨なリンチの主役永田洋子の態度は、ほぼ同じと言わねばならない。



「獄中者組合」の支援で”獄中闘争”を展開中の彼女を取材した「週刊朝日」の記者は次のように記している(「週刊朝日」50年7月11日号)。


「……空色のシマ模様のサマーセーターに花模様のカーディガンを羽織り、短めの髪をおさげのようにたばねて……。ごく当たり前の若い女性。……アジトで「総括」という名のリンチが行われた時、最も冷静で最も残酷だったと言われるその面影はまったく見られない。




どちらが本当の彼女なのだろうかと、戸惑ってしまうほど、あのイメージと違うのだ」こういう印象の彼女が、能弁に語る、「……レンセキ(連合赤軍事件のこと)の敗北を総括しながら生きて行くことの意味は何だろうかって考えたの。……人間が人間として生きて行くためにはどうあらねばならないか。



ここにいる人はおおむね下層労働者の農村出身者でしょ。その人たちの団結をかちとり、同時に、拘置所に対する要求の実現をかちとっていく、つまりレンセキ総括の実践的なものとして私たちの運動はあるのだろう、というふうに考えるのよ」と。そのことを言うと彼女は「じゃあ」ニコッとほほえむと、ゆっくり立ち上がり、ドアの向こうに姿を消した。



ややあって思い扉が閉まる音がした。”総括”した同志の夢を見ることはないのだろうか。彼女のあまりの明るさに、そんなことを考えてしまった」と。


これは一体どういうことなのか。おそらくそれは「いま」の目前の対象を、「いま」の時点だけの臨在感で把え、「いま」それに自分を対応さすという形で反応することにより過去が消失するという、異様な精神状態を示している。


これは恐らく彼女の”戦後”なのであろう。こうなれば人間には、責任も反省もない。否、想起すらあり得ない。たとえ想起のようにン見えても、それは自分を「いま」に対応さす再構成_彼女の言葉を借りれば「つまりレンセキ総括の実践的なもの」にすること_にすぎない。



彼女はこの状態を「人間が人間として生きる」ことだと考えているのであろうか。もしそうなら、「いま」の対象を臨在感で把えてそれと和合すれば、すべては赦されることになる。」