読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「和気藹々はその日だけではなかった。そしてそれが二、三日続くと、今度はこちらが、肩透かしをくったような妙な虚脱感を覚え、閣下なんぞについて何かを考えるのはもう面倒だ、最初に記をつかったこちらが馬鹿正直だっただけだ、といった、一種投げやりの無関心なっていった。


そしてそれを過ぎた時、私はやっとこの将官たちを、一応そのままの姿で、「見る」余裕を獲得した。そして見れば見るほど、それは、不思議な存在に思われた。



なぜあの人たちが指揮官でありえたのだろう。なぜあの人たちの命令で人々が死に得たのであろう。なぜ自決を命ぜられて人が自決し得たのだろう。(略)


閣下がお互いに閣下閣下と呼び合うものだとはこのときはじめて知ったが、鉄柵の中でのその呼びかけが逆に妙に空虚にひびき、そこにいるのは結局、それ以前にも今と同様、そう呼び合っていただけの、二等兵以上に自己の意志を持ち得なかった無個性無性格者の集団だったとしか思えなかった。(略)




一体これは、どういうことなのか。選び抜かれて将官となり、部下への生殺与奪の権を握っていたこの人たち、この人たちに本当に指揮者(リーダー)の資質があるなら、今でも何かを感ずるはずだが、それは感じられない。




野戦軍の「将」であったのか、それならば、たとえこうなっても「檻の中の虎」に似た精悍さを感ずるはずだが、それもない。では何かの責任者だったのか、それならば、最低限でも「部下の血」に対する懊悩から、こちらが顔をそむけたくなるような苦悩があるはずだ。



私が最初、師団長の顔を見たくないと思ったのはそれで、具体的に言えば彼の部下である砲兵隊の最後も砲の処置も、砲兵出身である彼に語りたくないのが理由だったが、そういう苦悩があるとさえ感じられない。



一体この人たちは何なのだろう。まるで解放されたかのように、この現在を享受しているかに見えるこの人たち。この人たちの頭脳の奥に、本当にリアリティーをもつ存在があるとすれば、それは一体何なのであろうか。私にはただただ不思議であった。



彼らが「世界的定義」における軍人ではなかったことは確かである。従って米軍は日本軍を「軍隊として」尊敬していなかった。ロンメルのような形で敵軍にすら称揚され、世界的水準で一定の評価を得ている伝説的将軍は日本軍にはいないし、いるはずもない。



もちろん、お家芸の「仲間ぼめ」は今でもある。(略)それらを除き、彼らが真から例外的に高く評価していたのは自暴自棄のバンザイ突撃に最後まで反対し、冷徹な専守持久作戦で米軍に出血を強い続けた沖縄軍の八原高級参謀だけであったろう。



「慮人日記」にも出てくるが、米軍は一兵士に至るまで「沖縄の作戦はスマートだった」「あれを徹底的にやられたら参るところだった」と言って、出血回避という米軍の弱点を巧みにさ逆に捕え、綿密な計画通り一歩一歩撤退した見事さを評価していたが、他は全く問題にせず、日本国内だけで評価されている”自画自賛的命参謀”などは、話題にすらなっていなかった。



敵の意識にすらのぼらない”メイ参謀”などは、はじめからお笑いである。(略)



幕舎の入口に不意に人影がした。振り向くとそこには、見知らぬ人が立っていた。(略)いわば将官的カガシ的印象が皆無で、本当に生きているという感じが、その全身から溢れていたのである。その人は、昭和十七年の入隊以来私が接して来た人々とは全く別の人であった。



物静かで穏和で謙虚、少しも居丈高でなく、それでいて何やら侵し難い威厳と自信といったものが感じられた。私はいつしか椅子から立っていた。その人はごく自然に幕舎に入って来た。そして机の上の宝石箱を見ると、「あ、あなたですか。いやL中尉がしきりと宝石箱を話題にするので、ちょっと拝見したくなって……」と言った。(略)



私はしばらく茫然と立っていた。その人の印象は余りに強く、同時に、そういう人が現実にこの場にいることがどうしても信じられなかったからである。(略)



軍医さんは椅子にかけ、二人が向き合っていっぷくつけると、彼は「芸術家同士は仲がいいねえ、テンヤさんと何話してたの」と言った。「テンヤさんて?」「いま来てたでしょう」「あ、あの方、テンヤさんと言うんですか」「本当はノブヤかな。「あの旗を撃て」ですよ」(略)


こんな調子で軍医さんは説明してくれた。いま来たのが画家の阿部展也氏、奥さんがドイツ系のフィリピン人で、「あの旗を撃て」という映画の主演女優。そして、「絶世の美女ですよ。あなたなんか一目見たら腰をぬかすよ」ということであった。(略)


「…だけど芸術家はいいなあ、大日本帝国がひっくりかえっても、奥さんと別れても、自分の世界があるからなあ。もっとも将官連にいわすと「絵空事をやっとるヤツはのん気なもんじゃ」ということになるけど」



この一言が、私を憤慨させ、自制を失わせた。カーッと血がのぼって来た。そして、あらゆる罵言が次から次へと出て来た。「絵そらごと」とは何事だ、頭の中に絵そらごとしかなかったのは、あの将官たちじゃないか。軍人たちではないか。自分たちだけが祖国・民族のことを思いつめているような顔をして一人よがりのシナリオを自作自演し、その舞台から他の同胞を見下し、他の職業人を、やれ「のん気」「自覚がない」「意識が低い」などと蔑視していたくせに、その実態は空虚なカガシではないか。今こそ解放されたような顔をしているではないか。


一体、日本の将官、指導者に欠けていたのは何なのか、一言でいえば自己評価の能力と独創性・創造性の欠如ではないか。またその前提であるべき事実認識の能力ではないか


阿部さんが対象を正確に見て、それを把握して自らの手でカンバスの上に創造する、あらゆる面での、そういった種類の能力が全く欠如していた。そのはずだ、それを可能にする自らの世界がはじめから「から」だったのだ。



否、彼らだけでない、日本軍の全てが、新しい発想もなければ、想像力もなく、変転する情勢への主体的な対処もできず、対象を正確に直視して、その弱点を見抜くことさえできなかった盲目的無能の集団だったではないか



その点、比島人ゲリラにすら劣っていたではないか。日本と言う枠内での、軍部という井の中の蛙が、仲間ぼめという相互評価で、土地ころがしのように軍部の評価を高めて無敵無敵と自称したところで、それは単なる自画自賛で国際的評価としては通用しない。


だが戦争はまさに国際的事件であり、国際的評価に耐え得ないものは、はじめからこれに対処できるわけはない。それすら理解していない。一人よがりの思い込み集団。その状態はまさにこの将官幕舎と同じではないかったのか、鉄柵の中で「閣下」「閣下」と言い合っているこの状況と。その連中が何で他人の仕事を「絵そらごと」だなどと軽蔑できるのだ、と。」