読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(言葉と秩序と暴力)

「そして、虚構の階級組織が消失し、収容所で自然発生的な秩序が出て来た時は、その実情がむき出しになり、人脈・金脈・暴力の秩序になった。サント・トマスの「秩序維持の法廷と陪審制度」などは、遠い夢のおとぎ話に等しい。



小松さんは「慮人日記」で、この暴力支配の発生・経過・状態を、短く的確に記している。」

〇この部分は、以前「日本はなぜ敗れるのか」でも抜粋したので、そそちらからコピーします。

「『暴力政治   PW(Prisoner of war 戦時捕虜の略)には何の報酬もないのを只同様に使うのだから皆がそんなに思う様に働く訳がない。(略)
ところが、このストッケードの幹部は暴力団的傾向の人が多かったので、まとまりの悪いPWを暴力をもって統御していった。

といっても初めはPW各人も無自覚で、幹部に対し何の理解もなく、勝手なことを言い勝手なことをしていたのだが、つまり暴力団といっても初めから勢力があったわけでなく、ストッケードで相撲大会をやるとそれに出場する強そうな選手を親分が目を付け、それを炊事係へ入れて一般の連中がひもじい時彼らにうんと食わせ体力をつけさせた。

しかるに炊事係の大部分を親分のお声係の相撲の選手が占め炊事を完全に掌握し、次に強そうな連中を毎晩さそって、皆の食糧の一部で特別料理を作らせこれを特配した。


そんなわけで身体の良い連中は増々肥り、いやらしい連中はこの親分の所へ自然と集まっていった。為に暴力団(親分)の勢力は日増しに増強され、次いでは演芸部もその勢力下に治めてしまった。一般PWがこの暴力団の事、炊事、演芸等の事を少しでも悪口をいうと忽ちリンチされてしまった。


この力は一般作業にも及び作業場でサボッた人、幹部の言う事を聞かなかった者も片っ端からリンチされた。各幕舎には1人位ずつ暴力団の関係者がいるのでうっかりした事はしゃべれず、全くの暗黒暴力政治時代を現出した。

彼等は米人におだてられるまま同胞を酷使して良い顔になっていた。


彼等の行うリンチは一人の男を夜連れ出し、これを十人以上の暴力団員が取り巻きバッドでなぐる蹴る、実にむごたらしいことをする。痛さに耐え兼ね悲鳴をあげるのだが毎晩の様にこの悲鳴とも唸りとも分らん声が聞こえて、気を失えば水を頭から浴びせ蘇生させてからまた撲る、この為骨折したり喀血したりして入院する者も出てきた。


彼等に抵抗したり口答えをすればこのリンチは更にむごいものとなった。ある者はこれが原因で内出血で死んだ。彼らの行動を止めに入ればその者もやられるので、同じ幕舎の者でもどうする事もできなかった。暴力団は完全にこのストッケードを支配してしまった。一般人は皆恐怖にかられ、発狂する者さえでてきた。』



『マニラ組   オードネルの仕事はたくさんあるので、マニラのストッケードから三百名程新たに追加された。この新来の勢力に対してこの暴力団が働きかけたがマニラの指揮者はインテリでしっかりしていたので彼らの目の上のコブだった。(略)


この夜マニラ組全員と暴力団の間に血の雨が降ろうとしたが、米軍のMPに察知され、ストッケード内に武装したMPが立哨までした。(略)


新来者の主だった者に御馳走政策で近づきとなり、マニラ組内の入れ墨組というか反インテリ組を完全に籠絡して彼らの客分とした。これでマニラ組の勢力も二分されてしまったのでその後は完全なる暴力政治となった。親分は子分を治める力も頭もないので子分が勝手なことをやり暴力行為は目にあまるものがあった。』


『クーデター  コレヒドル組が来てからすぐ八月八日の正午、MPがたくさん来て名簿を出して「この連中はすぐ装具をまとめて出発」と命ぜられた。三十名近い人員だ。今までの暴力団の主だった者全部が網羅されていた。(略)

それでこのストッケードの主な暴力勢力は一掃された。(略)PWの選挙により幹部が再編成された。暴力的でない人物が登場し、ここで初めて民主主義のストッケードができた。

皆救われたような気がし一陽来復の感があった。暴力団がいなくなるとすぐ、安心してか勝手なことを言い正当の指令にも服さん者が出てきた。何と日本人とは情けない民族だ。暴力でなければ御しがたいのか。』」