読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(統帥権・戦費・実力者)

「人間誰でも心底では一縷の希望的観測を抱いている。自分が戦場にやられる前に戦争が終わってくれないだろうか、という淡い願望をどこかに持っていない人間はいなかった。もちろん私もその一人である。だがこのとき、「もうダメだ。行くところまで行くであろう。生きて二たび一般社会に戻ることは二度とあるまい」と、私は思った。


〇 今、まさに私も同じように感じています。あの「ジャパン・クライシス」の予想が外れ、何事も起こらず、全てなんとかなり、次回の参院選では、安倍自民が惨敗して、もっとマシな、まともな人たちが、堅実に日本を立て直す…そんな奇蹟が起らないかと。


日本中の多くの人が「自分が戦場にやられる前に戦争が終わること」を願いながら、なぜ、戦争は始まってしまったのか。なぜいつまでも何の意味もない「闘いのポーズ」を多くの人命を賭けてまで続ける必要があったのか。



「私にそのことを語ったのは、S中尉という、士官学校出の若い中隊長である。前述のように、私は初年兵のとき保護兵で、一時、特訓班に入れられ、その班がこの中隊にあった。従って私はしばらくこの中隊長の下にいた。そのため、原隊に帰った時、私だけその中隊へ帰隊の挨拶に行った時の出来事であった。



彼は非常にまじめな、一人間としては心から敬愛できる人であり、その彼は、かつて自分が教育した一保護兵が見習士官になったことを、わが事のように喜んでくれた。そのために口が軽くなったのか、あるいは喜びの余り私を同僚のごとく扱ってしまったのか、それはわからない。彼は不意に政局や戦局の話をはじめ、事態の重大性を憂慮し、このようになったのは、「議会が悪いからだ」と言った。



彼は議員を罵倒し、軍需太りの利権屋を国賊とののしり、戦死者の屍肉を食う人非人どもと言った。まじめな下級将校のこの憤慨には一理ある。安岡章太郎氏も言われたが、「軍人が戦時利得者でなかった事は事実」、戦時利得者は大小無数の”小佐野賢治型”人物であり、将校、特に下級将校の実態はそれとは全く別で、インフレに最も弱い下級サラリーマンのそれにすぎなかった。


従ってその言葉には、公憤に仮託した私憤も混じっていたであろうが、それが臨軍費に及んでた時、私は思わず彼の顔を見なおした。彼は言った。



「いかに精鋭の軍隊といえども、逐次戦闘加入を強いられれば必ず敗北する。これは戦術の原則である。ナチス・ドイツ軍の勝利を見よ。実にみごとな、一糸乱れぬ統一党加入ではないか。なぜわれわれにこれができないか。



毎年、毎年、臨軍費の予算の範囲内でしか作戦ができず、これ以上は”予算がないから戦争はできません”という状態を強いられてきたのだ。役人は責任のがれに”予算がない……”と言えばそれですむかもしれぬ。だが、一国の安危は予算がないでは、すまされぬのだ。


それなのに無敵皇軍は常に逐次戦闘加入を強いられ、そのため実に無理な作戦を強いられながら全ては中途半端、トドメを刺すことができない。日華事変が片づかなかったのは軍の責任ではない。議会の責任だ。議会が悪いのだ」。



私がいかに鈍感でも、こう言われれば、何が要点かはわかる。私は思わず胸の内で呟いた。「そうか、そうだったのか。戦費を打ち切れば、戦争を終わらすことが出来たのか……」。



同時に、学生時代からの、軍の国民への直接宣伝、新聞ラジオ雑誌等の戦意高揚記事、配属将校の演説等々が、走馬灯のように頭の中を走った。「そうか。彼らはこの点を国民の目から隠すため、あんなことを言い続けて来たのか……」。「幸い武藤前軍務局長が……」と、私の胸の内も知らず彼は言葉を続ける。



そしてこの名をに耳にしたとたん、一枚の新聞の紙面が脳裏に浮かんだ。(略)
それには、武藤軍務局長の大きな写真が載り、「政党解散は軍の方針」だという(表現は少し違うと思うが)彼の言葉が載っていた。


いま、食堂の方へ歩いて来るのは、その新聞写真とそっくりの彼であった。(略)
彼が何をやったのか、軍の心底の恐怖を一掃すべく、いかなる秘策を練り、だれを動かし、どのようにそれを実現して行ったか。その真相は永久にわからないであろう。



帝国陸軍におかるさまざまの重要な決定は、日本における多くの重要な決定と同様、常にわからない所で行われていた



至るところに、実力者という名の不思議な人物がいた。それは、いまもいるであろう。その人は、組織上では何の力ももたず、従って何の責任もない地位にいながら、実質的にはすべてを行い得る人である。従って軍にもその種の人がいて、少しも不思議ではなかった。」