読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

されど私の可愛い檸檬

〇 舞城王太郎著 「されど私の可愛い檸檬」を読みました。
これも、「ブンとフン」と同じく、「一下級将校…」と並行して読みました。

「トロフィーワイフ」(初出 2016年12月号)「ドナドナ不要論」(2010年8月号)「されど私の可愛い檸檬」(書き下ろし)が載っています。

まだ、一度ずつしか読んでいないのですが、どれもすぐに引き込まれて、それほど「がんばらなくても」読めるので、嬉しいです。舞城王太郎が好きなのは、読みやすいのに、別世界に連れて行ってくれるところです。

それでいながらとても身近な問題について、今自分も突き当たっている、と気づかせてくれるので、考えるのが楽しくなります。

今回も三編それぞれに引っかかりどころがあって、面白かったのですが、
今も、ずっとモヤモヤ考えているのは、「トロフィーワイフ」についてです。


「それから私たちは時田晴ちゃんが嫁いだ松本さんちに入る。玄関の向こうは広い土間になっていて、一段高いところに座敷が広がっていて仏壇が見える。
「健吾さん玲子さ~~ん」と言いながら棚ちゃんが座敷に上がり、仏壇の前を横切って突き当りの襖を開けるとベッドが二台並んでいて、そこにパジャマ姿だけどなんとなく品のいい老人夫婦が寝ている。


「初めまして。突然お邪魔してすみません。棚子がお世話になっております。妹の扉子です」
すると手前のベッドのおばあさんが言う。
「遠いところまでよう来なしたねえ。東京からおいでなさったんやろ?棚子さんには
本当にお世話になってます。ほんっとうに……」
と言葉が途切れて、見るとおばあさんが泣き出している。



後ろのおじいさんも。ふたりともニコニコしたまま溢れ出た涙を拭っている。
「ごめんなさいねえ」とおばあさんが言う。「棚子さんのこと、連れ戻しに来られたんやろう?長いことこんなとこにいてもろて、本当にごめんやで、棚子さん。もう帰ってもろていいんやで。うちらのことはうちでやるさけ」



「やーだ玲子さん、追い出さないでくださいよー」と棚ちゃんが言う。「私、ここにいたくていさせてもらってるんですから。それに、ここ出てっても帰るとこありませんし」




「こんなとこにいつまでもいて、知らんじいさんとばあさんの世話なんかして人生食いつぶさせてたらあかんよ」
「何言ってるんですか。玲子さんと健吾さんのお世話は楽しいし、こうやって一緒にれるだけで嬉しいんですから」
「もうええんや。もうええんやで……」
と涙を拭うおばあさんの後ろでおじいさんは黙ったままで、ただニコニコ泣いていて、



……それを見て、私は何故かぞっとする。
何だろう?
でも私はここが怖い。南側の縁側から日差しの差し込む明るい座敷で、畳の上には余計なものが落ちてなくて、天童木工ふうの感じのいいソファが置いてある、柄的には落ちの良さそうな部屋なのに。」


〇 この物語の「私」は棚子さんの妹で、棚子さんは、何でもよく出来る出来の良い女性で、妹の私=扉子は、その姉の出来の良さに何かうさん臭いものを感じて、
小さなころからずっと反発して育って来た、ということです。

姉の棚子さんは、自分の夫(友樹さん)が自分・棚子さんを期待していたようには理解してくれていない、誤解している、はっきり言えば、結婚相手が棚子さんであっても無くても別にかまわない、というような理解の仕方しかしていないことに、問題を感じて、家出をしている最中なのです。

離婚を前提とした家出なのです。

そこで、扉子さんは、家出して身を寄せている棚子さんの友人、松本さん(旧姓時田さん)=軍曹の家へ行き、そこで、置いてもらっているかわりに、軍曹のお舅・お姑さんの介護をしていることに、異常なものを感じ、「こんなのは、おかしい!!」と言っている場面です。

「棚ちゃんが、相手の理想の中の<棚ちゃん>を演じてること私、知ってるよ。そんで…そういうふうに人の気持ちと繋がることで、相手の気持ちを操作までできるんだね。なんて言うか……きっと、相手としては、自分が思う<理想の棚ちゃん>が言うこととかやることが、いつの間にか自分の理想とずれてても気付かないんだろうね」


「……」

「あのさ、私がもう棚ちゃんのそういうとこ忘れてると思ったの?棚ちゃん自分でもずっと、わざわざ私に教えてくれてたじゃん。私、棚ちゃんのそういうの見たいわけじゃなかったけど見てきたし、……そういうのって悪いことだとまでは思ってなかったんだけど、やっぱり、……異常だよ、今やってることは、少なくとも」



「人を助けてることはあっても、困ってる人なんかいないでしょ?」


「……棚ちゃん判ってないの?」


「何が?」

「どうして軍曹が外に働きに出たのか」


「え?……私がこの家のことやってて余裕が出たからでしょ?」


「違うよ。棚ちゃんが支配してるこの家にいるのが嫌だからだよ」
「いや絶対違うよ。軍曹、私に感謝してくれてるし、働けるの嬉しいって言ってくれてるもん」


「それは棚ちゃんがそう言って欲しいからだよ。軍曹言わされてるだけ」
「何で?軍曹何か言ってた?」
「ううん?棚ちゃんがいてくれてありがたいって言ってたよ」



「はは。でしょ?そういうことだよ」
「軍曹自身気付いていないけど、棚ちゃんがそれ言わせてるんだよ。軍曹に……たぶん罪悪感与えて。遠隔操作みたいにして」
「あはは。私ってどんなに凄いことできるのよ」
「できるよ、棚ちゃんには。何しろそうやって生きてきたし年季が入ってるもんね」



「……」
「私、このリヴィングとダイニングに入ってきてやっと判った。この家、棚ちゃんに完全に乗っ取られてるよ」
「……家事やってるのが私だからそんな風に感じるだけじゃない?」
「おかしいの、バレバレだよ。そういうの判らない棚ちゃんじゃなかったよね」
「……」
「たぶん、棚ちゃん、怒ってるんだね。怒りで目が見えなくなってる」




「そんなことない」
「なってるよ。私ですらも判るもん」
「何が?」
「福井の他人の家に上がり込んで、好き放題にしてる」




「だからー、それは……」
「息子くんは?軍曹の」
「あ」
「三歳だよね。ちょっと目、離しすぎじゃない?」
「トビちゃんが……ううん、ごめんなんでもない」
私のせいにしようとした。
棚ちゃんらしからぬ行為で、それはつまり私が棚ちゃんを焦らせてるからだ。
私は正しい。




棚ちゃんがキッチンの脇のドアを開けて奥の廊下を抜けていく。棚ちゃんの手は廊下はもちろん庭にも届いている。雑草が完全に抜かれた庭。隅っこに半透明のゴミ袋が真ん丸に膨らんで五つ置かれている。抜かれた雑草がゴミ袋五つ分もあるなんて。



「棚ちゃん、お庭綺麗にしたね」
と私が言うと、棚ちゃんは庭を見ず、こちらを振り返りもせず、
「軍曹と俊くんが頑張ってくれたの、今朝。トビちゃんが来るからって」


今朝?!三歳の男の子も?
けど、そうか、だからまだゴミ袋が捨てられずに残ってるんだ。
「今まだ十一時前だよ、棚ちゃん、軍曹たち何時から草むしりしてたの」
「明るくなってからすぐだよ」
「……だよね」




喉が震えだして、その一言も絞り出すような感じになった。
「あの、……ぐん、軍曹の旦那さんは?」
「最近仕事が忙しいみたいで、毎日六時には出てっちゃうし帰りも深夜過ぎだね」
旦那さんもここにはいられなくなってるんだ、と私は確信する。」




〇 確かに友人とは言え、他人の家に入り込んで家族のように振舞っている、というのは、異常だとは思うけれど、でも、そうすることで「人の役に立っている」わけで、人の役に立ってると感じるのは、喜びであるわけで、棚子さんが、辛い気持ちの時に、「喜び」を求めるのは悪くないことだと思うのです。


これって、そんなに「悪いこと」なんだろうか?と考え込んでしまいました。

「トロフィーワイフ」についての説明の部分をメモします。



「「あのさ、トロフィーワイフって表現知ってる?」

「知らないけど……意味は判るかも。……勉強とか仕事とか頑張って、人生で成功したご褒美みたいにもらえるいい奥さんってこと?」

「あー……それはいい解釈だしそういう世界の住人でありたいけど、たぶん違ってて、男が自己顕示欲を満たすために結婚する相手のことだよ。人に自慢するための道具にされちゃう女の人。その女性の内面とか無視でね」

「へえ」
「棚ちゃんってそういうトロフィーワイフに自らなろうとしてるような感じない?」

「ええ?でもそういうのって、綺麗だけど中身がないとかそういう女の人のことじゃない?」
「そうとも限らないんだよ。女の人がどんな性格だろうがどれだけ才能があろうが、全部丸ごと無視してしまうことなんだよね。つまり、そういう男性を非難するためにあるような言葉だと思うんだけど。<あいつは奥さんをトロフィーワイフ扱いしててけしからん>みたいなさ」


「や、だからさ、友樹さんが実際に棚ちゃんのことをトロフィーワイフ扱いしてるってことじゃなくて、棚ちゃんのほうが自分を最高のトロフィーワイフとすべく振舞ってるようなところがないかってこと」(略)



「…うーん。こんなふうに言うと悪口みたいに聞こえるかもしれないけど、俺が思うに、性格も良さそうに振舞ってるよね、意識的に、棚ちゃんて。そういうのを性格が良いと言うかどうかは微妙かな」

「………」
<完璧な棚ちゃん>を内面的にも演じてるってことね。はいはい。知ってます。(略)


尚也が言う。
「でも自分がどう見えてるかって視点がある人って多かれ少なかれそういう作られた自己像って持ってるもんだよね」


「じゃあさ、そういうのって、人に嘘をついてるってことなのかな?」


「悪意がなくて人に迷惑がかかってなければ、人生を上手く生きている、ってことになるんじゃないの?ありのままの自分をそのまま曝け出すことが必ずしも人の役に立つってわけじゃないし、道徳や礼儀に適うってことでもないと思う」」


〇 なんだか、自分自身のことを言われているような気がしながら読みました。
というのも、私自身、かなり「性格が悪い」という自覚があります。
でも、それをそのまま出して人と関わることが出来るほど強くないので、<完璧な自分>を演じようとしながら生きています。

だから多分、人と関わるのが嫌なのだと思います。
何故かと言えば、私は棚子さんと違って、完璧を目指しても全然完璧には出来ないのです。


でも、ここで問題にしたいのは、自分が「できない」ということではなく、
「完璧をめざす」のは、良くないことなのか?ということです。
そんなにも、良くないことだとは、考えたこともありませんでした。


生まれつき、愛らしい性格の人というのは、男女を問わずいます。
でも、自分は残念ながらそうではありませんでした。その時、
そういう人は、どうすれば良いのか…。


…などと考えさせられる内容でした。
まだまだモヤモヤしていて、もう少し考えつづけることになりそうです。