読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私はあなたの瞳の林檎 (僕が乗るべき遠くの列車)

〇 この物語もストーリーが面白かったというよりも、心に引っかかる言葉が印象的で、引き込まれました。
一番興味深かったのは、この「僕」が十五歳になる前に死ぬんだろうと思っていた、ということです。


「そりゃそうだ。自分がすぐに死ぬだろうと思っていて、それに異論がないのだ。勝手に思っていればいいだけの話で、外れた時にはああ間違えてたか、と思うだけだ。(略)


僕にとっては無意味な他人からの説得を受けることも、他人にとっては無意味な僕の説明を行うことも回避したかったのだ。僕は普通に未来を夢見るようにして生き、十五歳の手前のどこかで死ぬだろう。



そしてそれを僕自身は判っていた、が、何も抵抗する術を取らなかった、し、そのことを誰にも知られずに終わった、ということでいい。



人生は楽しい。子供としてしか暮らしていない十数年間を人生という言葉で言い表していいのかはわからないけれども。ともかく、死にたいわけではない。そんな気持ちは全くない。ただ、死ぬことが辛いことなのかどうかが判らないのだ。(略)



僕には不満はない。それどころか満足感がある。ただ、僕の全てが終わりを迎えることにもったいないという気持ちが湧かないだけだ。人は死ぬ。若いまま死んでも大した話じゃない。そのことがありふれているだけでなく、そもそも何事にも、この世から無くなってはならないというほどの絶対的な価値なんてないからだ。(略)


そういうふうに全て無価値とすることで無くなることや失うこと、死んでしまうことの恐怖を遠ざけていて、そのことに気づいていないか忘れてしまっているという可能性だってあるけれど、それはもう僕には確認しようがないことだし、そうしsなきゃという気持ちも湧かない。



素敵だ、可愛い、美味しい、楽しい、などなど、そういう評価と無価値であるという審断は僕の中で自然に共存している。価値があるということにしたいという反発みたいなものも生まれてこない。無価値であることが悪いこととも感じていないからだろう。


ただ全てが、あっても無くてもいいというだけだ。」



「「いいわ。もう、あんたも言葉の一言一言に厳密に引っかかりすぎや。このクラスで良かったな~~でいいやんか。楽しいし最高なんやろ?いちいち他のクラスでも同じくらい楽しいし最高やったかもとか想像する必要がないが。



あんた自販機でジュース買うて美味しかって、これで正解!と思ったりせんのか?「いや美味しいけどこれでなくても良かったかも」って思うん?だとすればあんたは頭が回ってるんでなくてアホなこと考えすぎてるんやで?」



と言われてなるほどなと思う。
僕はアホなことを考え過ぎているのかも知れない。物事の絶対的な価値についてなんて考えないのかも知れない。人が必ず死ぬこと、何もかもが失われて行くことなんて想像せずに、今の喜びに集中していくべきなのかもしれない。」




「まあ死ぬ時って、いつかはどうせ死ぬんやでいいんやけど、ほやけどその電車は怖いんよ。ほんでこないだも私その夢見てたら、そこに倉本が乗ってきたの。ほんで私の隣りに座って、「大丈夫や。よう考えてみれや、どんなんでも、電車に乗る時にはぱ席が確保されてる方がいいやろ?立ちっぱなしよりはな」って言うたの。ほんで私ちょっと笑ってもうて。


確かになーって。ほしたら倉本が言うたの。「気持ちなんて反転する。意味は変わる。絶対ではないんや。生きることも死ぬことも、何もかも、意味をつけてるのは自分よ。もともと全部、意味なんてないんや」って。



ほんと、この通りに言うたんよ。そしたら私その電車の夢で初めて怖くならんかったんや。と言うか、何が怖いのか判らんくなってもうたんかな?(略)



倉本のこと見てたら、倉本、夢ん中と同じようなこと言いそうやなって私、思ったの。なんか、倉本って何もかも全部馬鹿馬鹿しいっていう感じやん?」(略)



生きることも死ぬことも、何もかも、意味をつけてるのは自分よ。もともと全部、意味なんてないんや。


それはいかにも僕が思っていることに通じている。


物事の全てにおいて価値なんてない。(略)



「何?」
と訊かれて言ってしまう。
「俺も……っていうか、俺、実際、この世の全てに、意味って言うか、価値がないんでないかと思ってるんよ。面白いとか楽しいとか、そういう感情は本当やけど、面白いけど無価値とか、楽しいけど意味ないとか、そういう感じで、そんで、この世界に価値がないんやったら、……生きる意味もないんでないかなと思ってるんや。



生きてるけど、俺の命が大事だから生きてるんでなくて、生きてて楽しいけど、俺にとってとか他の人にとってでなくてこの世にとって、意味とか価値があって生きてるんでなくて、俺は死んでてもいいのに勝手に生きてるんでないかなって。ほやで…」
と、ここでもう一度迷うが、続ける。



「俺、もうすぐ死んでしまうような気がするし、そうなっても、まあ、勿体無いみたいな気持ちは出て来んやろうなって」




「いやどこかに行くんじゃなくて、私と、彼氏彼女になるちうもりはないかって聞いてるの」
「ええ?何で……何でそんな、…いやちょっと待って。そもそも鴨さん、俺のこと好きなの?」


「好きやで?私には倉本しかえんよ」
「えっ、そう?そんな感じ全然……」
「そりゃ見せんようにしてたもん。私、慎重やったから」
「何で?どういう意図があってそんなこと……」


「ほやかって、中学生の恋愛とか大人になるまで上手く実らせてく自身なかったんやもん。私も倉本も、全然未熟やったやんか」
「……ええ?ほんで、大人になるまで待ってたってこと?でもまだ二十歳前やけど」
(略)



「ただの友達でないって。私にとってはずっと恋愛相手やもん」」



「夏央は僕のことが好きだった。(略)だから夏央が僕に求めることは、夏央自身のためではなく、僕のためである、としたら……?
つまりその世界観の変更、思想の変節、その選択が、全て僕のためであるというのはどういうことかというと、……僕が間違えていて、それを正しく直そうとしていたということじゃないか?



まともで正しい、この世の真実に向かい合えるよう、僕を矯正しようとしてくれていた……?
うん。
夏央らしい、と僕は思う。夏央がそうしてくれていたのを僕は信じることができる。
夏央はそういう子なのだ。」



「僕がそういう馬鹿を重ねたことで世界が冷えたかもしれない。なので、僕はこれからその分をせめて温め直すためにも頑張るつもりだ。
隣りには菊池鴨がいる。」



〇 昔、尾崎士郎の「人生劇場」を読んだことがあります。
その物語から受け取るメッセージが、まさに「この世には、意味とか価値などない。あるとしたら、個人的な主観的なものであって、全てがあっても無くてもよいものだ…」というものに感じました。


そして、その後も、日本人作家の書いた小説をいくつか読もうとしたことがあるのですが、そこに流れているメッセージは、いつも同じようなものに思えました。

私はそれが嫌でたまりませんでした。
多分私自身の心の底に流れているのも、同じような価値観なのだと思います。
でも、それが嫌でたまらなかった。


人生が楽しく、死にたくなく、不満はなく、むしろ満足感がある、のだとしたら、意味や価値など少しも無くても、ただ生きてる、で良いのだと思います。


でも、楽しくなく、満足感などなく、辛い毎日、という状態だったら、何故生きてるんだろう、と考えるのでは?と思います。
人生が楽しくない人には、もっと違う価値観がなきゃ、
やっていけなくなります。
私は、後者だったなぁ、と思います。



自分がそうだから、自分を基準に考えて、人生に意味や価値などない、などと言う人は、心配になってしまうのですが、でも、ここで、「僕」が言ってるように、生きてるのが楽しく、ジュースも美味しく、満足しているからこそ、意味も価値もないと思う人もいるんだ…と、自分の視野の狭さを感じました。


そして、「あんた鵜飼さんのこと舐めすぎ。つか人間のこと知らなすぎ。というか、はっきり言って思い込みだけで生き過ぎや!」って、私自身に言われているような気もちになりました。