読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

「第3章  近代法の原則とは何か

(略)



審判も処罰もすべて法(条文)を前提とする

近代法の特徴は、「罪刑法定主義」というものです。(略)

フランス革命の前の旧体制(アンシャン・レジーム)というのは、たいへんひどいもので、精神病者政治犯も泥棒も、区別なくどんどん捕まえて、拷問や虐待なども当たり前。監獄にぶち込まれて、当局ににらまれたら出て来られるあてもない。(略)


ベッカリーアは、こういう現状を大変憂えて、こんなふうに国王(国家権力)が人民を恣意的に捕まえるなんていうのはとんでもないことであって、今後、人間一人ひとりの自由を守るために、次のことを原則にしましょう、と提案したわけです。



その原則とは、何人も明確な法律の条文にもとづかないかぎり、有罪とならず、処罰されない。もちろん逮捕されたりもしない。裁判を受けるときにも、すでに周知されている刑法の条文にもとづかなければだめだ。こういう考え方です。そして有罪であることを証明するのは、検察側、つまり国家とか権力の責任であって、有罪であることが証明できなかった場合には無罪になる。(略)



まず条文が必要、次に証拠が必要、そしてその証拠によって被告の犯罪行為が一〇〇パーセント立証されないとダメです。九〇パーセントだと、だめなのです。(略)
「疑わしきは罰せず」といって、一〇〇パーセント立証しなくては、ダメなのです。


またその取り調べの手続きが、三十六時間不眠不休で取り調べましたなんていうことだと、取り調べが正当な手続きによってなされていないということですから、これは即、無罪になってしまう。違法な捜査や取り調べは無罪になるのですが、これは被告の人権を守るためです。
こうしたことは、刑事訴訟法に定められています。




推定無罪と挙証責任

推定無罪の原則」というものもあります。これは、有罪であることを証明されないかぎり、市民は無罪とみなされる、という考え方のことです。
この原則は、挙証責任についての原則です。(略)



証明する責任を負わされた方が、立場が弱いものなのです。だから市民を守ろうと思ったら、有罪であることのしょぅ名を国家の責任にして、国家が証明できなければ市民は無罪であることに決める。こうやって、市民を守っているわけです。



権力をチェックするのが目的ですから、被告が有罪であることを証明する手続きが厳格に出来ている。(略)百人の真犯人を取り逃がすといえども、一人の濡れ衣の犯罪者をつくるべからず。こういう考え方なのですね。
こうやってはじめて市民が守れる。これを「罪刑法定主義」といいます。」