「2 世俗法と教会法
ローマ法とキリスト教徒
そこへパウロという人が出て来た。パウロの書いた手紙が「新約聖書」にたくさん収められていますが、彼が「ローマ人への手紙」で言うのには、「地上の権威には従いなさい」。簡単に言うと、法律は守りなさい、反政府活動はいけません、と言ったのです。
月曜日から土曜日までそうした法律に従って異教徒とともに生活し、日曜日だけ集まって神のことを考える、これがキリスト教徒の最初のやり方です。
世俗的な国家と、日曜日に集まる教会、これが完全に分離していて、無関係だった。
こんなことはユダヤ教にはありませんでした。(略)
政教分離の始まり
ゲルマン人の法律は、ゲルマン法です。改宗したあとでも、彼らはゲルマン法を捨てなかったのです。刑法や民法、その他、すべての法律は彼らの元々のものです。ドイツの法律も、フランス、イギリスの法律も、全部そうです。
これはやっぱり、キリスト教とほとんど関係がない。でもキリスト教徒は法律に従わなくてはならんまいとパウロが言ったので、ゲルマン法でもいいやということになって、そのときどきに、世俗社会に通用している法律に従っている。原罪にいたるまでそうです。これがキリスト教の考え方で、政教分離の根本が、ここにあるわけです。
ゲルマン民族が改宗する時、王様の命令で、一夜にして何万人もの部族が、全部キリスト教徒になってしまう。そして教会を建て、そこに行かされるのですが、右も左もわからない。だいたい字は読めないわけですから、三位一体とか、とても理解できない。それで、十字架のイエスを偶像崇拝することになった。
神父さんもいない。そこで王様が口を出して、お前とお前は、神父をやりなさい、と命令う。これが初期の実態でした。(略)
ところがゲルマン人は王様の命令で聖職者を選んでいたわけですから、だんだん問題になって、誰が神父を任命できるのか、叙任権があるのか、という論争になりました。これが聖職叙任権論争というものなのですが、キリスト教がいかに弱い宗教だったかということを証明しています。(略)
3 政教分離と近代国家
近代国家の成立とルターのロジック
それには二つほどポイントがあります。
ひとつは、宗教改革のときに、武力を肯定するという考えを、マルチン・ルターが生み出したことです。
「聖書」を読むと、明らかに非暴力主義です。「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」、「上着を取られたら下着も与えなさい」と書いてあって、これでは犯罪を取り締まれないし、国家権力も組織できない。
これでなんとかなったのは、そうしたことはローマとかゲルマンとか、すでに存在する異教徒の国家にやってもらうから、自分たちは世俗の国家などつくらなくてもいい。パウロをはじめキリスト教徒は最初、そう考えていたわけです。
救われて神の国に入ることに関心があったから、世俗の国家には無関心だった。
でも、これではキリスト教徒の国家は正当化できないので、困ったことになった。
ルターは宗教改革を起こして、ローマ教会と喧嘩してしまいました。そうするとドイツの封建領主や軍人が、はたして自分は救われるだろうかと心配になって、ルターに相談に来たのです。(略)
そこでルターはうーんとうなって、こう答えたのです。「軍人さん、あなたの職業は、キリスト教の愛の精神にかなっていると思う。もしあなた自身が誰かに迫害されたならば、「聖書」に書いてあるように耐え忍んで、無抵抗・非暴力で、迫害されるままになっていなさい。
でも、もし、あなたの隣人が暴力をふるわれている場合には、何時の隣人の欲することを隣人に為せ、これが隣人愛の精神です。その隣人は助けてもらいたいと思っているわけでしょう。
そこで剣をとって駆け付け、その悪人を懲らしめてやりなさい。それは、自分のための行動ではないので、正義です。こういう行為が神の愛にかなっていると思います。軍人は正しい職業です」。
こういうふうに言ったのです。
ルターが、こういうロジックを生み出したので、警察、軍隊、国家権力を、プロテスタントのキリスト教徒は、自分で組織できるようになりました。ルターは、すべての職業は等しく神聖であると言いましたが、とりわけ軍人(武力を行使する職業)を正当化した点が重要だと思います。」