「宗教戦争から生まれた宗教的寛容
これはいくらなんでも殺し過ぎで、あまりにバカバカしい、と誰でも思います。冷静に、なんとかお互いの考え方が違ったまま、共存していく道はないものだろうかと考えた。
こういう激しい殺し合いは、一神教の中でも、ユダヤ人はやっていません。イスラム教徒もやっていません。分派とか対立とかはありますが、教義の違いを理由にしたここまでの宗教戦争は、イスラム教徒の内部ではないのです。ですから、共存というロジックが生まれなかったのです。でもキリスト教徒だけが、ひどい宗教戦争を経験し、その結果、宗教を超える論理を自分たちで作り出した。
これを「宗教的寛容」といいます。
お互いに法律を守りさえすれば、市民としてお互いの権利を尊重しましょう。組織や国家の作り方を、宗教と分離してしまった。これが宗教の教訓です。
以上ふたつのポイントを一緒に考えてみると、こういうことになる。社会や国家は、世俗のものでいい。世俗の法律を、教会とは無関係に、。自分たちでつくりましょう。それは信仰と分離していていいのです。― こういうシステムができた。
これが近代国家です。これがもっとも純粋なかたちでできたのがアメリカです。(略)
この考え方がもっと世俗化し、宗教と無関係なかたちで表明されたのが、前にお話しした啓蒙思想家の社会契約説です。理性によって法律を発見し、社会をつくればいい、という考え方です。そして神との契約によく似た国家の契約、つまり憲法というものが出てきます。憲法は、世俗化した神との契約なのです。
憲法は、キリスト教徒の考え方で、第一に、人間が法律をつくっていい、人間による立法、という考え方が基本になっている。ユダヤ教、イスラム教は、人間の手による立法、人間が神と無関係に国家をつくる、という発想に乏しいのです。
それから第二に、契約を更改していい、と考える。これもキリスト教に特有です。キリスト教に「新約聖書」と「旧約聖書」があることからもわかるように、イエス・キリストを境目にして、契約が更改されたと考える。(略)
キリスト教と議会
このことに加えて、議会の機能が変化したということがあります。
議会は、封建領主や貴族が集まった合議体で、国王を牽制するためのものでした。安全保障上の必要もあって、国王がいないと困るけれども、あまりのさばられても困る。そこで、税金を取ってもいいが、議会の同意を得てからにしてほしいと、国王に約束させた。(略)
この議会が、あとになって、人民の代表という資格を帯びるようになりました。貴族とは別に、納税者、人民の代表を選挙で選んで下院議員にすれば、民主制です。
こういうシステムが出来上がったのも、やはりキリスト教ならではのことです。(略)」