読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

「3 日本仏教と法

戒律を学ばなかった日本仏教

日本にも仏教が入ってきますが、日本仏教のひとつの特徴は、戒律がきちんと入ってこなかった点です。
中国に入って来た戒律すら日本には入って来なかったので、戒律が何かということがよくわからず、戒律を研究する律宗というものが、南部仏教のなかで生まれました。


そして日本で戒律がよく守られていないということで、鑑真和尚を招くことになり、唐招提寺ができました。
にもかかわらず、その後も日本に戒律が定着することはなかったのですね。


戒律のなかで重要なのは、女性に接触してはいけないという規定です。これは建前上は守られていたのですが、後代、たとえば比叡山の山裾のほうに、たくさん女性が住んでいた。そしてお坊さんとの間に生まれた子どももたくさん住んでいて、信長の焼き討ちのときに、大勢が切り頃われたりしています。



焼き討ちの是非はともかくとして、だいたいそういう女性の集落があるということ自体がおかしい。でもこれは、当時のふつうの状態だったのです。
それからお酒なども、般若湯などと名前を変えてこっそり飲んでいるとか、そういうこともありました。



日本で起こったもうひとつの問題は、仏教と神道が混淆して、一緒のものとして信じられたことです。
このことをルールの点から考えてみるとどうなるかというと、仏菩薩が権現となって、氏神として神社に住まっているという考えになります。


神社は地域共同体のシンボルで、地域共同体の道徳的法秩序をまとめているものです。そうすると、仏菩薩がそのまま、日本の地域共同体の法律道徳の、お目付け役になっている、こういう状態になってしまい、世俗のルールと仏が従うルールは別である、というロジックがすっかり曖昧になってしまった。



これが日本仏教のもう一つの特徴です。世俗法がそのまま仏法になる、という考え方が生まれたわけです。
これが「本地垂迹説」ということになるわけですが、本地仏であるインドの仏が、姿を変えて日本に垂迹した、ということですね。」


〇 昔何かの本で、日本にはルールもモラルもない。そのようなもので人間をコントロールしていたということがない、という話を読んで、「まさか…」と思うと同時に、「そうかもしれない…」と思ったことがありました。

「まさか…」と思ったのは、とは言え、一応私たちは規則だとか法だとかを守って暮らしているではないか、と思ったからです。
でも、「そうかも…」と思ったのは、守れる間は、守ってるけれど、いざとなったら、何でもあり、で弱肉強食の社会、多分私も他人を助けないし、他人も私を助けてはくれない、と感じているからです。

そして、あの山本七平さんの本「日本はなぜ敗れるのか」を読むと、実際、どれほど酷いリンチが行われていようと、周りの人々には何もできなかった、とありました。


「彼等の行うリンチは一人の男を夜連れ出し、これを十人以上の暴力団員が取り巻きバッドでなぐる蹴る、実にむごたらしいことをする。痛さに耐え兼ね悲鳴をあげるのだが毎晩の様にこの悲鳴とも唸りとも分らん声が聞こえて、気を失えば水を頭から浴びせ蘇生させてからまた撲る、この為骨折したり喀血したりして入院する者も出てきた。


彼等に抵抗したり口答えをすればこのリンチは更にむごいものとなった。ある者はこれが原因で内出血で死んだ。彼らの行動を止めに入ればその者もやられるので、同じ幕舎の者でもどうする事もできなかった。暴力団は完全にこのストッケードを支配してしまった。一般人は皆恐怖にかられ、発狂する者さえでてきた。」

〇 そして、これを書いた小松氏も山本氏も、このような「暴力による秩序」は、
他の国の捕虜収容所にはなかった、日本だけのものだ、と書いています。

そして、その原因は、多分日本の軍隊が人々から言葉を奪ったからだろう、言葉を奪えば、野生動物が力によって序列を作るように、力で秩序を作る以外なくなる、と書いていました。

「言葉を奪った」というと、私たちだって、言葉を使っている、と思うのですが、
ほとんどの言葉に、裏と表があるのです。まっすぐにその言葉を受け取れなかったり、そうは言っても、そんなことを心から信じている人は誰もいない、という言葉があふれかえっています。

いわゆる「骨抜き」という手法で、言葉の力をほとんどゼロにしている。

女性や酒を禁じる戒律も、建前は守っているふりをしながら、実際には、
「みんなで渡れば怖くない」とないことにしているわけですから、
むしろ、戒律など「要領でやるんだ…」と思っていたのでしょう。

そうなると、リンチだって暴力だって、そのやり方で…となるでしょう。

あ~~~ぁと、ため息が出てしまいます。