読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か


「第Ⅲ部 日本人と法 ― 法感覚を鍛えるために

ここからは、われわれの社会にとってもっとも身近な日本の法律について、日本人と法律のあり方についておもに話します。比較的独立している内容なので、ここまでの議論はおいておいて、ここだけで完結したものと考えてもらってもよいです。


最初に「日本社会と法」について、概略を話して、次は「明治国家と法」。日本にとって、明治以前の法とそれ以後のヨーロッパ系の法とはぜんぜん違ったもので、つぎはぎになっていること。


そして明治維新は、法律的にどう考えられるのかという話をして、その次に、「民主主義と法律」について考えてみたいと思います。リバタリアニズムのアイデアを材料に、自由とか公共性とか、民主主義とかについて、私なりの考えをご紹介しようと思います。


最後が「国際社会と法」。国際法というものが国家の内部の法とはまた別にあって、これも大事であるということを確認します。



第9章 日本社会と法

1 律令法から中世法、近世法へ

律令時代以前の法

法律の面から、歴史的に考えると、日本はいくつかの段階を経て、現在まできていると思います。
一番古くは、中国の影響をまったく受けていない、日本独自の法というものがあったはずなのですが、たとえば縄文時代にどういう法律があったのか、なんの記録もありません。ですから調べようがないので、研究できません。


そのあと弥生人が、おそらく中国南部などから米の文化を持ってやってきた。弥生時代の法律については、多少の記録が残っています。有名なところでは、「古事記」や「日本書紀」に、天津罪と国津罪という考え方が記録されています。



これは両方とも法律なのですが、察するに、アマテラスオオミカミを祖とする天皇家がもっていた法律と、在地の豪族がもっていた法律とが、二種類に区別されていて、両方行われていたことを想像させるわけです。



国津罪の内容を見て見ると、初期の稲作文化をもっている人たちの、村の掟のようなものが多いわけです。たとえば「阿離」「溝埋」といって、水田の畔を壊して水を流してしまう、これは大犯罪です。お米が穫れなくなってしまいます。



それから、「生剥」といって、生きた動物の皮を剥ぐというもの。これはスサノオノミコトがやったことになっています。どういう実害が及ぶのか、ちょっと私には想像がつきませんけれども、たぶん村の宗教的な慣行に対する反抗のようなものではないかと思います。



そういうものが、かろうじて記録されていますが、それ以上、なんの手掛かりも無いので、どうしようもありません。


そのあと古墳時代になり、各地に豪族が生まれましたけれども、そのグループがどういう法律を持っていたかも、実はあまりわかりません。正確な記録が残っているのは、そのあと、ずっと時代が下って律令制の時代からです。」