読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

「法的根拠から見た明治維新

そして明治時代になるわけですが、まず、なぜ明治維新によって江戸幕府を倒すことができたのだろうか。その理屈は、こんな感じです。


日本はもともと、天皇が支配する国である。しかし、律令に定めのない将軍という存在が、政治を行なっている。これは間違いであり、本来の律令制に復帰するのが正しい。
こういう理屈で明治維新を行なったのです。



そこで天皇が、政変を正当化するためのシンボルとして重要な役割を果たした。それで将軍を倒すことができた。
明治政府のスローガンである王政復古がそのとおりであるなら、法律は、律令制に戻らなくてはならないわけです。


律令がいつ廃止されたかというと、実は廃止されていません。空洞化しただけであって、ずっと有効だった。貴族は京都にいて、摂政関白以下の役職をつとめ、正何位という位階を叙せられるというシステムできていたわけです。



江戸幕府もこれを認めていたわけですから、大政奉還する一八六七年の慶応三年まで、形式上は律令制だった。ですから明治維新は、法律的に言うと、律令制を実質化しただけである。



明治の法体系はとても不思議で、最初は太政官神祇官があり、律令制をかたどった官職制でスタートします。ところが内部で論争があって、神祇官はすぐに廃止される。それからしばらくは太政官が行政のトップで、その下に参議などが位置した。内閣制に移行するまではそれでやっていくのです。



律令制に戻った、という建前はしばらくいちおう維持されていた。
これで古代法としては立派だが、いくらなんでも外国の手前、問題である。そこで西洋法体系を取り入れることにして、まず内閣制を布告した。



議会と無関係に内閣を組織して、総理大臣に伊藤博文を任命します。それから大日本帝国憲法を発布し、総選挙を行なって、議会を開設し、明治二十三年に専制君主制から立憲君主制に移行するのです。




法律の連続性と不連続性。とくに武家法が長く続き、律令制が有名無実化していたあと、その武家法が再びばっさり切られてもう一度律令制に復帰し、かと思えば西欧的な立憲君主制になってしまう、というような一貫性のなさが、日本の法的伝統の特徴です。」



〇 「たとえば、刑法ははじめからやる気がなかった。中国(髄・唐)の刑法には五つの刑(笞、杖、徒、流、死)がありましたが、笞刑や杖刑はあまり実施されない。」というのが、印象的でした。

また、「同じようなことは、繰り返し起こります。明治になって憲法を導入しても、実際には昔ながらの慣行で、社会を運営していた。戦後も民主主義を導入しても、実際に会社や学校では、民主主義とは関係ない不文律や規則が幅を利かせている。」という話を読みながら、なぜそうなるのだろう、と思いました。

日本民族の持って生まれた気質なのか。それとも、あの「東洋的な見方」のような
仏教思想の影響なのか。