読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

「第10章 明治国家と法

1 幕藩法と近代法

中央集権化と天皇の権限

もう一度、明治維新に話を戻します。
明治維新は、大変にドラスティックな改革であったと思います。
明治維新の前と後を比べてみるとわかるのですが、明治維新までは、中央政権などないに等しいような、徹底した地方分権だった。


各藩のそれぞれの大名が、ほぼ完全な自治権を持っていた。藩ごとに法律を決めている。裁判を行なっている。立法司法の権限を手にしていました。
どれぐらいの税金を取るか、という課税の権限もありました。それから軍事力も持っていました。そして貨幣も発行してよい。_これは要するに国家です。



こういうものが三百も集まっていたのが、江戸幕藩体制というものです。もちろんそれぞれの藩は、独立国というような自由はなかったでしょうけれども、今日の県から見ると、比較にならない独立の権限を持っていたわけです。



これを何としてでも否定しなくてはならない、というのが明治維新です。
明治維新とともに、天皇専制君主として現れました。征夷大将軍天皇を比べてみると、天皇のほうの権限が、圧倒的に強い。どうしてかというと、江戸時代には、統治権は大名の数だけあったわけです。幕府はそれを束ねているだけ。人民に対しては、大名を通して、間接統治するだけだった。

でも、天皇復権すると、日本を統治する権限は天皇にあり、天皇にしかないわけです。主権者としての天皇が法律をつくり、裁判を行ない、税金をかけ、軍隊を指揮し、そして貨幣を発行し、国家の全ての権限を彼の手に集中する。それ以外の権威は認めないという中央集権化が、あっと言う間に為し遂げられたというのが明治維新です。



こういう強引な改革には、地方からの抵抗が強いものなのですが、日本の場合は律令制という建前があったので、地方自治の原理は正当化できなかった。そこで大政奉還廃藩置県が、スムーズに進んだ。これも空気の為せる業でしょう。



この結果、日本全体が、単一の法律が通用する、単一の空閑になりました。そして人間の空間的移動が自由になり、身分制が廃止されたので、社会的な移動も自由になった。大きな自由が与えられた。封建制から近代に移行したことで、こうした変化が起こった。



人民はずいぶん支持したと思います。貿易も自由になりました。外国から資本や知識や技術が入ってくるようになった。



2 明治憲法と法

未維持維新から内閣制の導入まで

そこで、明治維新と法についてもう少し考えてみたいのですが、いくつか段階があります。
まず初期の専制君主制。これは明治維新ののち、明治十八年に内閣制になるまでの、十八年ほどの期間です。


そのあとすぐ、憲法が施行されて立憲君主制になるわけですが、それまでは律令制ですから、勅令や太政官令によっている。要するに、政府の命令です。どうして勅令や太政官令が法律としての意味を持つかというと、これは律令制の建前によるわけで、正統な日本の統治者である天皇は、法律を制定する権限がある。



これが立憲君主制になると、天皇個人の権限ではなく、明治国家という主権国家の期間として、天皇憲法のもとに様々な活動を行なう、というように変化します。ヨーロッパ型の立憲君主制をなぞったわけです。憲法はドイツから、民法はフランスから、というように適当と思われるものを導入して組み合わせたのですが、日本社会の実態に即していないところから、やがて問題が起こります。」