「芸術の域に達した官僚のレトリック
「退職管理基本方針」が菅政権によって閣議決定された後、矢継ぎ早にこれを具体化するための措置が講じられた。実際のところ、「基本方針」だけを読んでも具体的に何が起こるのか、普通の人にはまったく分からない。
表現が抽象的で、しかも大事な事はほとんど何も書いていない。すべてが映画の予告編のようなもmのだ。いや、それよりはるかに分かりにくい。
これは後ろめたいことを官僚が画策するときの常套手段だが、今回はそれが極めて徹底している。全体として見ると、巧妙に仕組まれた総合的な官僚の既得権維持拡大の策略が、一つの措置を、あえていくつかの文書に分けて行われている。
さらに発表の時期も、選挙前のどさくさのときやお盆休み中というように、気付かれにくいときを選んで行われている。
政府系の企業や団体に出向した機関も公務員として働いていたのと同じように退職金の算定対象となるよう政令が改正され、出向可能な企業が追加されたのだ(96ページの表参照)。
この表を見れば一目瞭然。要するに、従来から各省庁が天下りを送り込んでいた企業・団体がリストアップされているのだ。天下りできなくなったから、その代わりに現役のまま行けるルートにしたというまやかしである。
しかし、この表自体は記者発表では公表されていない。(略)
さらに驚いたのは、民間企業への派遣に関する人事院規則の改正だ。わざわざお盆休み中の八月一六日に発表した。
内容も凄まじいものだ。これまで部長・審議官以上の幹部は所属する官庁のsy官業界へは派遣できなかった。つまり、国土交通省の審議官をゼネコンに派遣することは出来なかった。
当たり前だろう、と誰もが思う。ところが、省の所管企業であっても、たまたまそのときに所属している曲の所管業界でなければ派遣しても良いと改められた。つまり、経産省の経済産業政策局の審議官を経産省所管の自動車会社に派遣しても、局が違うからOKだというのである。(略)
つまり規則改正以外にも実は大事なことがあるんですよ、と暗に示しているのだ。
では、この「等」の部分で何が認められたのか。なんと、民間企業への派遣終了後に、派遣されていた企業への再就職が認められてしまったのだ。役所に戻って定年退職したあとなら再就職できるという……。(略)
キャリア官僚は課長までは概ね同期横並びの年功序列で昇進する。しかし、課長の上のポストである審議官や部長ポストは数十しかなく、最近は必ずしも全員が昇進できるわけではない。
その上の局長ポストはさらに数が少なく一〇程度である。そこで、これ以上出世できなくなると、その時点でいわゆる肩たたきが行われる。間引きである。
行先では通常、退職時の給料の水準を維持してくれる。さらに、七〇歳前後までいくつかの団体・企業に再々就職(いわゆる「渡り」)を世話して、いわば一生面倒を見るのが暗黙のルールになっていたのだ。
ところが、安倍内閣のときにこの天下りの斡旋を禁止する法律改正があった。その時から、実は官僚は、その規制強化を何とかして骨抜きにできないかと各種の策を準備し、今日まで虎視眈々とその実現の機会をうかがっていたのだ。(略)
従って五〇歳を過ぎた官僚を民間企業に派遣するのは法律の本来の目的に違反しているから違法だと言っても良い。(略)
しかし、そんな法改正をしようとしたら国会で議論が紛糾して、とても通らない。そこで、そういう問題にはほおかむりしたまま、民間に幹部級を派遣するという法律違反の行為をやってもいいですよということだけ、極めて抽象的な形で先の「基本方針」に入れ、閣議決定させてしまう。
役人はそこまでやる。逆に言えば、役人は「そこまでやっても現在の政権は許してくれる」、そう思っているということである。
ここで強調しておきたいのは、こんな細かな細工を施して国民の目を欺くことは、官僚にしかできない、ということだ。普通の人には絶対に分からないだろう。その証拠に、これらの問題点をまとめて一つの陰謀だと見抜いたマスコミの報道は、いまだに目にしたことがない。
「公務員だけ先に定年延長」という企み
もう一つ、ほとんど問題視されていない公務員特権拡大の策略がある。それは、公務員だけは定年を六十五歳に延長しようというものだ。共済年金の支給開始年齢が六五歳に引き上げられるのに合わせて、無年金期間の発生を防ぐためである。(略)
本題に戻るが、驚いたことに、二〇一〇年夏に出た人事院勧告に付属する報告書では、ほとんど理由らしい理由もなく、公務員については(再雇用ではなく)定年を延長すべしと書いている。(略)
ところがマニフェストでは、給与のことは書いてあるにもかかわらず、「労使交渉を通じた給与改定」としかいわず、あえて「下げる」という言葉を避けている。定員も「見直し」としかいっておらず、ここでも「削減」という言葉は用いていない。民主党の有力支持団体である官公庁の労働組合に遠慮したとしか思えない。(略)
官僚主導と言われた自民党時代でさえ、官僚は批判を恐れてこの検討結果を棚上げにえきた。民主党政権になれば、なおさら実現は難しくなるだろうと誰もが思った。にもかかわらず、官僚に都合良いお手盛り政策が公然とまかり通っている。
天下り拒否の末に
私は菅政権の打ち出した「退職管理基本方針」の問題点について、改めて論文にまとめ、「週刊東洋経済」(二〇一〇年一〇月二日合、九月二七日発売)に寄稿した。(略)
官僚の名誉のためにいっておけば、誰でもはじめから天下りしたくて公務員になるわけではない。国民のために働き、この国を繁栄させる政策立案に参加したいという希望を持って入省する。ところが入省した先は、若手の「志」を摘んでいくシステムに支配されている。(略)
私はこれを官僚が国民のために懸命に働けるシステムに変え、国民の信頼と尊敬を集める官僚機構に脱皮させたいと願っている。(略)
二〇一〇年六月の論文の最初の余波はその直後の夏の人事の季節にやってきた。私の移動は見送られ、その代わり、経産省から、こともあろうに私が反対している「民間派遣」の打診を受けたのだ。
人事のことゆえ、詳しくは書けないが、提示された条件はかなりの厚遇で、受ければ六〇歳の定年まで生活は安泰だし、定年後もその企業に再就職するように勧められた。前に説明した天下りの脱法的迂回措置だ。(略)
正直、家族には申し訳ないとも思ったが、もちろんその場で断った。(略)
退職の期限まであと一カ月と迫った九月二八日、私は突然、官房長に呼び出された…。」