読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中枢の崩壊


財務省が絶対に認めない改革とは

財務省にとっても、長妻氏は邪魔者だった。長妻氏は野党時代、社会保険庁日本年金機構への移行を凍結し、社会保険庁国税庁と統合させて「歳入庁」を設置すべきだと主張していた。



大臣になった後、年金機構の民間出向者が内定済みという理由で、これは実現しなかったが、将来的には歳入庁設置の意向を示していた。
財務省が絶対に受け入れられない改革、それは国税庁の完全切り離しである。
一時期、消えた年金問題に関連して歳入庁構想が浮上した。年金も国税も国民からおカネを徴収する点では同じ機能なので、社会保険庁国税庁を統合し、歳入庁を新設して、国民から徴収する機能を一元管理しようという構想だ。



こういう仕組みにすれば、無駄な人件費が削減できるだけでなく、徴収率も上がるし、データの管理もしっかりし、間違いも起こりにくい。極めて妥当な案だった。
ところが、いつの間にか、歳入庁構想は俎上に載せられなくなり、立ち消えになった。財務省が反発したか、あるいは、民主党がそれを恐れたからだと言われている。



なぜ、財務省はたかだか下部機関に過ぎない国税庁にこだわるのか。財務省のスーパーパワーの隠れた源泉が国税庁の査察権であるからだ。実は国税庁は、検察庁に勝るとも劣らない強力なツールなのである。



普通に生活していて、刑事事件の被告になることはまずない。刑事事件を起こさない限り、警察も検察も手を出せない。厚労省の元局長、村木厚子氏のように無理やり罪を被せて逮捕すると、どんなことになるか。大きな社会問題になり、いま検察は大変な苦境に立たされている。



ところが、ただ一つ、比較的容易に刑事事件の落とし穴に嵌りやすいのが脱税である。これを担当するのが他ならぬ国税庁だ。サラリーマンの場合、税金は会社が天引きして納めるので、脱税容疑に問われることはほとんどないが、自営業者や企業経営者は、うっかりすると脱税に引っかかる。



たとえ、脱税する気は毛頭なくても、経理上のミスはいくらでも起こり得る。とくに経理に専門スタッフを割く余裕のない自営業や中小企業では、国税庁がとことん調べれば、脱税とされても仕方がないミスは必ず見つけられる。


国税庁はその気になれば、普通に暮らしている人を脱税で摘発し、刑事被告人として告訴できるのだ。あるいはそこまで行かなくても、国税庁の査察が入るということになれば、相当な恐怖感を抱かせることが出来るのだ



ましてやカネの流れが不透明な政治家は国税庁が怖い。だから国税庁を管轄する財務省には刃向かえない。
国税庁は、マスコミを牽制するためのツールとしても大いに威力を発揮する。霞が関に対して批判的なフリーのジャーナリストを黙らすのは、その気になれば簡単だ。国税庁が査察に入れば、いくらでも埃は出てくる。



経理がしっかりしている大手出版社や大手新聞社などのメディアを抑え込むのも、さほど難しくないという。国税庁は定期的にマスコミにも調査に入っている。たとえその時に立件できなくても、すべての資料を閲覧できることが大きい。



経理の資料を見れば、重役や編集者、記者がどこどこで某政治家、某役人と食事をしたといった情報が入手できる。国税庁は、入手したこれらの情報のうち約二立ちそうなものは整理して保管するという。



_財務省にとって、この懐刀が、いざというときにものをいうのだ。
たとえ摘発しなくても、霞が関に盾つくマスコミや政治家には、やんわり「これ以上うるさいと、こちらも本気でやりますよ」と相手が受け取るような形で、それとなく匂わせるだけで十分だろう。


むろん、財務省国税庁を脅しの道具に使っているなどとは絶対認めないだろうが、査察や調査と霞が関批判の記事の間には、ある種の因果関係が存在すると感じているマスコミ人は多いはずである。



私自身こんなことを書くことについて、友人のマスコミ関係者から、「古賀さん、国税のことは書かない方がいいよ」と忠告を受けた。ここでの表現がオブラートに包んだようなものになっているとしたら、やはり私も国税の恐怖に勝てなかったということかもしれない。



しかし、もう一人の友人はこういった。「古賀さん、ここまで霞が関を敵に回したら、いまさら手遅れだよ」……。


かように財務省にとって国税庁ほど使い勝手のいい機関はない。だから何があっても手放そうとはしないのだ。」


〇 不祥事続きの安倍政権をなぜマスコミは批判しないのか、不思議でしょうがなかった。あんな異常な安倍政権をなぜ日本の財界がこぞって支持しているのかも不思議だった。でも、もし懐刀の国税庁が安倍政権側についているとしたら…。
しょうがなく、みんな沈黙するしかないのだろう。

あの朝ドラの「まんぺいさん」のような目には誰もあいたくないだろうから。

でも、これが私たちの国の民主主義の現状なのだろうか。
三権分立も何も、成り立たない。

やはり私たちの国も、中国と同じ、支配者は官僚なのか。
もう一度、「人間にとって法とは何か」から引用します。


法律とは中国では、統治の手段であり、端的に言って、支配者(皇帝)の人民に対する命令です。神との契約という考え方とは、大変に違います。
支配者の人民に対する命令ですから、支配者の都合で出されるわけで、人民はそれに従わなければなりませんが、支配者は必ずしも従う必要はない。」