読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中枢の崩壊

「終章 起死回生の策

私は、いまの日本は非常事態に突入していると、警告を発し続けて来た。そう聞いても、どこが非常事態なのか、と思う読者もいるに違いない。景気が悪く、学生の就職口がないといっても、大方の日本人は日々の暮らしには困っていない。生活のレベルも、悲惨というほどではない。


しかし、現状がそこそこであっても、日本が急激に衰退への道を辿っているのは紛れもない事実だ。(略)


増税主義の悲劇、「疎い」総理を持つ不幸

ここで私が言いたいのは、もちろん、「日本経済が危機的状況だから一日も早く増税して税収を増やし、それによって財政赤字を縮小しよう」「増大する社会保障費を賄うことが出来ないから早く増税をして安心社会を実現しよう」などということではない。



むしろ、その逆で、安易に増税に頼ってはいけないということである。(略)いいたいのは、「「将来どうずるのか」という全体像を描かなければならない」ということだ。そう簡単にそれが描けるはずはないが、増税すれば全てが解決するというのは錯覚に過ぎない。



真実は、「なんとかして成長しないと破綻への道から脱け出せない」というところにある。(略)



実は、高度経済成長期以来作り続けて来たインフラが一気に老朽化し始める。その維持更新だけでも、公共事業費が現在の何倍も必要だという試算もある。将来金利が上昇すればさらに負担も増える。(略)



こんなことでは、これを二〇年やったとしても毎年の経済成長はほとんどゼロ。それどころかデフレから脱却できず、いずれ破綻への道を歩むことになるだろう。(略)


過去、各国が不況から抜け出すために打ったマクロの経済政策や、危機に陥って財政再建した歴史の教訓を見ると、増税中心で成功している国はほとんどない。政府の収入があればあるほど支出が緩くなってしまうからだ。(略)



経済学的に見れば、現在の日本で「まず増税」というのはあり得ない。こんなことを言う人は経済音痴と言われても仕方がない。(略)



財務官僚は経済がわかっているのか

(略)


では、こうした全体像を誰が描くのか。これまでは、日本経済が高度成長に乗って順調に発展してきた仕組みに、旧大蔵省・財務省も含めて、みんな安心しきって乗っていた。


財務省だけが悪いのではなく、官僚も政治家も、政治家を選んでいる国民も、油断していた。私は、財務省が強力に主導して今日に至ったということより、財務省が本当に問題をわかっていたのかということの方が不安だ。(略)



若者は社会保険料も税金も払うな

(略)


若者は、将来の日本の株主として税金や保険料を強制的に徴収される、いわば出資者である。彼らから見れば、日本が破綻して、IMFが乗り込んで、公務員を削減、無駄な既得権保護の補助金をカットし、年金の額を引き下げ、支給開始年齢を引き上げるおの改革をやってもらった方が得だ。


つまり、本来はこれと同じことを政府がやらなければいけない。
年金をはじめとした社会保障改革。支給開始年齢の引き上げはもちおろん、裕福な層を中心に支給額も引き下げるべきだ。


医療も高齢者だからと無条件に優遇するやり方はやめなければならない。(略)


いま日本で起きていることは、まさにこれだ。まず、稼ぐことを考えなければいけないのに、国民に危機感を煽って、「とりあえず」の増税を受け入れさせようとしているのである。



若い人から見れば、増税を決める前に稼ぐための痛みを伴う改革を決めるべきだ、となる。もちろん、血が流れる改革だから命がけだ。しかし、それにこそ政治家は政治生命を賭けなければならない。
だが、菅総理は何を間違ったのか、増税に政治生命を賭けてしまったようだ。まったく経済が判っていないとしかいいようがない。(略)」



〇 あの「ジャパン・クライシス」では、なぜ増税しないのか。普通に考えれば増税が必須なことは、わかるはずだ、と言っていました。でも、これほどまでに、増税は「悪者」にされています。少なくとも、素人は、どっちを信じてよいのか分からなくなります。


最小不幸社会」は最悪の政治メッセージ

とはいえ、悲観してはいけない。不安だけを膨らませ、後ろ向きになると、衰退が早まる。私がもっとも懸念しているのも、日本人に蔓延しつつある縮小の思考回路だ。(略)


逆に言えば、われわれ日本人が元気を取り戻し、これから日本は再び成長軌道に乗るに違いないという期待感を世界の国々に抱かせるだけでも、海外からの投資は増え、日本経済は活気づく。(略)



メンタル・デフレという言葉があるが、まさにぴったりだ。
これはメンタリティの問題なので一朝一夕には変わらないが、政治と行政にも責任が。
いい例が、菅総理の基本方針、「<最小><不幸>社会」だ。ネガティブな言葉を二つ重ねたこの標語には、この国はこれ以上発展しないというイメージがある。



ジリ貧の方向性こそ最大の危機になっている、この時期の政治のメッセージとしては最悪だ。(略)



仮に菅総理が、
「これからはビジネス、ビジネスで以降。国民みんなで金儲けしようではないか。そこらじゅうにチャンスは転がっている。日本にはこんなに高い先端技術がある。優秀な人材もいる。



使い切れていないカネもまだまだある。みんなが思い切り活躍できるように、政府は聖域なき改革に邁進する。だから、自信を持ってみなさん一人一人がチャレンジしてもらいたい。そして、企業はたくさん稼いで、働く人は給料をたくさんもらおう。株にも投資して、さらに資産を増やそう!もし、挑戦してそれで倒れたときは政府が責任を持って助ける」



と力説し、「最大幸福社会」の構築を目指すとぶちあげれば、国民の意識が変わっていただけではなく、世界も日本を見直していただろう。(略)」


〇 国民一人一人が集まって国が出来ている。その一人の国民が元気に(不幸じゃなく)生きていられる時、この国は良い国だと言える。
逆に、どれほどの経済大国でも、そこに見捨てられている人々がたくさん居るとき、一歩間違えば、自分もそうなると想像して、少しも「幸福」な気持ちにはなれない。

今まで、日本は経済大国だと言われていた。でも、多くの不幸な人々がいるのがはっきりわかっていた。だからこそ、みんなで幸せになるためには、最小不幸なのだと思った。その言葉を掲げる菅総理が一般庶民の不幸に無関心ではないと感じた。


ただ、「最大幸福」と見栄えの良い言葉を掲げて人気取りをするのではなく、そこには、本気で庶民の幸福になれる国を作ろうとする政治家の姿勢があると感じた。

この「ネガティブな言葉はダメ」という古賀さんの言葉を読んで、思い出したのが、
あの安倍さんの言葉です。「どアホノミクスの断末魔」の中にあった、
「世界の真ん中で輝く国創り」。

こんな「ポジティブな言葉な」の何がそんなに素晴らしいのか。見栄っ張りな人が人からどう見えるかだけに神経を尖らせて生きている姿勢にも似て、中身がスカスカの空っぽの人に見えます。

その行き着いた先が、今の「粉飾経済」でにっちもさっちも行かなくなった私たちの国です。


もう一度、どん底から始めたらいいと思います。古賀さんは馬鹿にしていますが、「みんなで肩を寄せ合って」一緒に幸福になれる国を作る為に、あの戦争を乗り越えた私たちの祖先のように。