読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

安倍官邸とテレビ

「(4)「誤った根拠による規制強化」を許すな

表現の自由」へ向けたアピール
二〇一五年一二月一五日、私はジャーナリストの坂本衛氏、映画監督・映像ジャーナリストの綿井健陽氏と共同で、日本外国特派員協会において「放送法の誤った解釈を正し、言論・表現の自由を守る」ことを呼び掛けるアピールを発表した。



五〇名の記者と七台のテレビカメラが入った記者会見では、外国メディアを中心に日本の政治とメディアの関係へ危惧の念が示された。



また、私が所長をつとめるメディア総合研究所では、これに先立つ同年一一月三〇日、緊急声明「私達は、違法な政治介入を許しません」を発表した。
本書でここまで述べて来た論点を再確認・整理する意味で、同声明の骨子をここに採録したい。


1 放送法憲法21条「表現の自由」に基づいて定められたものです。戦前の暗黒時代の真摯な反省に基づくものです。安倍晋三・総理は、「私にも「表現の自由」がある」と繰り返し述べますが、これは歴史への冒瀆です。表現の自由は少数者や社会的弱者のために培われたものであり、権力者のためではありません。


2 この「表現の自由」に基づく、放送法4条は放送局の倫理規定です。立法時、その後の政府答弁でも何度も繰り返し答弁されています。


3 その根拠は、一つの番組の中でバランスを取ることは不可避であり、放送局が番組全体で多様な意見を伝えることで判断すべきという極めて現実的なものです。一つの番組での発言を取り上げて、法律違反をもとpめることは「もの言えば唇寒し」という暗黒時代を招きます。


4 従って、放送法には、この条項の違反に対する直接的な罰則規定はありません。


5 にもかかわらず、高市早苗総務大臣は国会(2015年11月10日の予算委員会閉会中審査)で放送法第174条(業務の停止)をあげていますが、この条文は地上放送(条文上は特定地上基幹放送事業者)には適用されません。総務大臣が意図的に拡大解釈をしていることこそ問題です。


6 先進国の中で、政権や与党が特定の番組に関して呼びつけることはありえません。「表現の自由」を尊重することが民主主義の発展につながるとの合意があるからです。テレビ朝日NHKを呼びつけたのは自民党こそ、放送法違反で総務大臣は厳重注意すべきなのです。


7 「違法な報道」との名を借りた、個人攻撃の意見広告が読売新聞と産経新聞に相次いで掲載されました。誤った根拠によって規制強化を求めることは、テレビの表現の幅を狭め、国民の「知る権利」を奪うものです。このような卑劣な手法に、放送局は屈することなく、断固「自主自律」を貫くべきだと思います。



「停波」発言の意味するもの

このような提言を行って来たにもかかわらず、二〇一六年二月には、高市総務大臣による「停波」発言問題が起こった。事実関係は次の通りである。



発端は、二〇一六年二月八日の衆議院予算委員会での答弁である。「政治的公平」を定めた放送法第四条に違反した場合に放送局に電波停止を命じる可能性に言及し、翌日以降も、大臣会見や国会で同様の答弁を繰り返した。(略)



さらに総務省は、二月一二日の衆議院予算委員会理事懇談会で「政治的公平の解釈について(政府統一見解)」という文書を配付し、従来の「放送事業者の「番組全体を見て判断する」」としてきた「従来からの解釈については、何ら変更はない」としながら、一つの番組のみでも政治的公平を確保していないと判断できる例として、「これまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」として以下の二つをあげた。


① 選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合


② 国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合



「従来と変わらない」としながら、個別番組に対する判断基準まで例示する、明らかに踏み込んだ対応だ。
このような安倍政権の対応に対して、朝日、毎日、読売、東京などの新聞各紙が社説で警鐘を鳴らすとともに、民放労連が発言の撤回を求める「要請書」と公開質問状を高市総務大臣に送り、「放送を語る会」やJCJなどが抗議や辞任を求める声明を出した。



また、二月二九日には、民放テレビ局キャスターの田原総一朗鳥越俊太郎岸井成格大谷昭宏金平茂紀青木理の格氏が日本記者クラブで記者会見を行ない(田勢康弘氏も呼びかけ人として参加)、「私たちは怒っている——高市総務大臣の「電波停止」発言は違憲及び放送法の精神に反している」とする声明を発表。



三月二日には、憲法学者を中心とする「立憲デモクラシーの会」が「放送法第四条を根拠とする電波停止は、憲法違反」との声明を記者会見で明らかにした。(略)




根底にある「表現の自由」の軽視

先述したように、放送法第四条の「番組編集準則」が「倫理規範」にすぎないことは、放送法制定時からの長年の議論で明白である。(略)



報道内容について判断するのは視聴者だ。いわんや「政治」にかかわる番組について、当事者である政治家に判断を委ねることなどありえない。
国家権力と国民の間に立って、「権力の監視」を行なうメディアの「表現の自由」が規制を受ければ、多様な情報が流れなくなり、その結果、国民の「表現の自由」も失われる。



世界の報道の自由言論の自由を守るため、一九八五年に、世界のジャーナリストによってNGO国境なき記者団」がパリで設立された。その主な活動の一つが、世界各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することだ。



この「国境なき記者団」は、二〇〇二年から毎年、各国の報道の状況を比較し、「世界報道の自由度ランキング」を発表している。二〇一〇年は一一位だった日本は、東日本大震災以降、順位を下げ、二〇一二年に二二位、安倍政権が「特定秘密保護法」を強行採決した二〇一三年は五三位、二〇一四年は五九位となり、二〇一五年には、ついに過去最低の六一位までランキングを下げている。



「安倍政権こそ、与党こそ、言論の自由を大切にしている」と主張した安倍首相は、このことをどう考えるのだろう。」


〇 多くの人の血によって勝ち取った人権、長い苦難の末にやっと辿り着いた「次善の策」の民主主義。人々の苦しみを想像することが出来ない幼稚な精神の政治屋たちによって、私たちの国は、今、それが危機に晒されています。

先日も「BS世界のドキュメンタリー 北朝鮮 外貨獲得部隊」を見ながら思いました。日本も戦時中は、ほとんどこの国と同じような状態だった。こうなる可能性はある(もう、半分はなっている…)。そうなってしまったら、それを変えるのは、本当に難しい…と。


この後に、「あとがき」があって、この本は終わっています。
「安倍官邸とテレビ」のメモを終わります。