読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

充たされざる者

カズオ・イシグロ著「充たされざる者」を読みました。
カズオ・イシグロを読む時、何故なのかよくわからないのですが、
心が落ち着くというか、読んでその世界に入るのが嬉しい…という気持ちになるので、次々と読み続けてきたのですが、今回のこの本は、ちょっと違いました。

かなり忍耐力が必要でした。
人間関係がわからないまま話が進んでいく…というのは、今までもそうだったのですが、今回は、それにも増して、時間の流れも場所(空間)の設定もまるでついていけないような滅茶苦茶なもので、これは、結局夢の中の話なのか?と一度ならず思いました。

スケジュールが逼迫している中、そんなことしている場合ではない…という状況で、急いで行って帰って来なきゃならないのに、目的地までの道がわからない、次々と邪魔が入る。その「邪魔な人々」が、次々としゃべりまくり、おそらく物語の筋に関係ないだろうと思われるような話を延々とする。酷い時は、10ページくらい、喋りっぱなし。

しかも、そんな「逼迫」「緊急」「邪魔が入る」「延々としゃべりまくる」が、情況を変えて何度も何度も繰り返されるのです。読み続けるのがうんざりしてきます。

それでも読み続けたのは、それで一体最後はどこに行くのだろう…という興味からでした。

そして、最後に近づくにつれ、あの延々と続いたおしゃべりが、結局は全部、それなりに物語の展開に関係のあることだった、と分かりはじめます。
そういう意味では、いつもの「ジグソーパズル」的な要素でした。


そして、読み終わって、今回も私は自分の読み取りたいものだけを読み取ることが出来た…と感じました。


印象に残った文章をメモしておきたいと思います。

「ブロツキーは第二楽章のかなり自由な形式を活用して、ますます未知の領域へと音楽を推し進め、わたし自身も―実際マレリーに関しては、あらゆる解釈に精通していたのだが―しだいに魅了されていった。彼は、音楽の外部構造―つまり作曲家が認めた作品の表面を飾る調整と旋律―をかたくなにと言えるほどに無視して、殻のすぐ下に潜んでいる奇妙な生命体に光をあてるのだった。


そこにはかすかないかがわしさというか、どこか露出趣味にも似たところがあり、ブロツキー自身、自分が暴き出しているものの本質にひどくとまどってはいるのだか、なおも先へと進めたい衝動に抵抗できないようだった。その効果は、狼狽させつつも抗いがたいものだった。」


〇この文章は、クライマックス「木曜の夕べ」でブロツキーが指揮を始めた時のシーンを描いているのですが、この「充たされざる者」の放っているエネルギーと同じものを感じました。
イシグロは、まさにそれを狙ったのではないか…と。つまり作品の表面を飾る調整と旋律を頑なに無視し、殻のすぐ下に潜んでいる奇妙な生命体に光をあてようと…。

それが、あの延々としゃべりまくる人々の言葉になっているのでは?と思いました。

そして、そこから私が汲み取ったものは、
「人と人は理解し合えない。」
「理解し合っているという幻想は、離れている時だけ、お互いのイメージの中で育つ」
「それでも人は人を求めずにはいられない」

(だから何らかの「策」が必要になる)←これは、私が思ったことです。

というようなことでした。

最後に、この物語の中にも、登場人物は違うのに同じ人間の問題になっているというようなエピソードがありました。
ちょうどあの「遠い山なみの光」の中で佐知子の娘と悦子の娘の景子が重なって見えてしまうように、親と子の間にある「沈黙の戦い」が何度も見えました。


「ボリスはまだ床に寝転がったままで、わたしが戻って来るや、また首をすくめた。わたしは彼を無視して、ソファに座った。近くの絨毯の上に新聞があり、自分の写真が載っていたあの夕刊かも知れないと思いながら、それを拾い上げた。(略)


こっそり彼を見るたびにまだ首をすくめているので、私は少なくとも彼がこのばかげたゲームをやめるまで、ひとことも口をきくまいと決心した。この子が、わたしが見ようとする気配を察してそのたびに首をすくめているのか、それともずっとそんな恰好をしたままなのかは分からなかったし、すぐにそんなことはどうでもよくなった。


「それならそのまま寝かせておくだけだ」とひそかに考え、私は新聞を読み続けた。
(略)
「どのゲームにする?」ボリスは尋ねた。
わたしは聞こえなかった振りをして、まだ新聞を読んでいた。視界の隅で、彼がまずわたしのほうを向き、返事をしないのが判ると、また戸棚に向かうのが見えた。ボリスはしばらくそこに立って、ボードゲームの山をじっと見つめながら、ときどき手を伸ばしてどれかの箱に触っていた。」



〇この前の段階では、ゾフィーとボリスとわたし(ライダー)がそれぞれに、今夜は好きなお料理をたくさん作って、好きなボードゲームをしよう、楽しい夜にしよう、と語り合っていたのです。

でも、実際には、こんな風に、聞こえないふりをしたり、ずっと新聞を読んでいたりして、楽しい夜は実現しませんでした。

そして、これに似た空気がゾフィーとグスタフ親子の間にもあり、何故か親密な親子になれない。
グスタフが死にそうになっている時でさえ、ボリスの通訳を間に入れなければ、
会話が成立しないのです。


本当はスカーレットはレットの名前を呼んでいた、レットも本当は名前を呼んでほしいと願っていた。でも、どちらもそのことを口に出来ない。どちらも心の奥にしまい込んでしまう。そして結局、別れることになってしまうというあの「風と共に去りぬ」にもあった空気を思い出しました。


私などから見ると、あまりにも見えすぎて、聞こえすぎて、わかり過ぎて、芝居がかった言葉か、露出趣味的な言葉かしか使えないように感じてしまうのだろうか、と思いました。

私も、人付き合いが苦手で、会話が苦手で苦しんだ時、これは、「認知行動療法的に訓練しているのだから」と自分に言い聞かせて、
「芝居がかっていてもいい」「悪趣味な言葉でもいい」、
「まず、人と逃げないで関わろう…訓練として」と思いました。

…などと色々なことを考えさせられました。

最後に、ミス・コリンズの言葉をメモして終わります。

「「あなたの傷」ミス・コリンズは静かに言った。「いつだってあなたの傷」彼女の顔が醜く歪んだ。「ああ、どんなにあなたが憎いか! わたくしに人生を無駄に過ごさせたあなたが、どんなに憎いか! わたくしは絶対にあなたを許しません! あなたの傷、あなたのばかばかしい小さな傷!


それがあなたのほんとうの恋人なのよ、レオ。あの傷が、あなたの生涯のただ一人のほんとうの恋人! わたくしにはどうなるかわかっていますわ、たとえ二人が努力しても、たとえ二人が何とか最初からやり直そうとしても。音楽もそう、まったく同じじゃありませんか。



たとえ町の人たちが今夜あなたを受け入れても、たとえあなたがこの町の名士になっても、あなたはそんなものをすべて壊して、何もかも壊して、以前と同じようにまわりのものを全部めちゃくちゃにしてしまう。それもすべてが、あの傷のためなの。わたくしにしても音楽にしても、あなたにとっては、ただの慰めを求める妾にすぎません。あなたはいつだって、あなたの唯一の恋人のところへ帰って行く。あの傷のところへ!



そしてあなたは、わたくしがなぜこんなに怒っているのかお分かりかしら?レオ、わたくしの言葉を聞いています??あなたの傷なんて特別なものじゃありませんわ、ちっとも特別なものじゃありません。この町だけにだって、もっともっとひどい傷を持っている人がたくさんいるのを、わたくしは存じています。


それでもあの人たちは一人残らず、あなたよりずっと立派な勇気をもって頑張っていますわ。自分の人生を生きています。何か価値ある存在になっています。なのにレオ、ご自分のことを振り返ってごらんなさい。いつだって自分の傷を気にかけてばかり。(略)」