読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ルーズ=ルーズ・ソリューション

「高校の単位不足問題についてあちこちのメディアからコメントを求められる。テレビだけはお断りしたけれど(すみません)、新聞雑誌からの取材にはその場で思いついたことをだらだらしゃべる。(略)

 

 

 

私の見るところ、この履修問題が顕在化したプロセスはつぎのようなものである。

(1)学習指導要領と現場での教育内容には乖離がある。

(2)このj乖離を学校と教育委員会は法規の「弾力的運用」によってつじつまあわせをしていた

(3)「弾力」の度が過ぎたので、あちこちでほころびが出た

 

この現状認識に特に依存のある方はいないであろう。

(1)は現実である。

実際に文科省の示す学習指導要領通りに授業をやるだけの時間も人的リソースも確保できないと悲鳴を上げている学校はいくらもある。主な理由は(教員たちによれば)教員たちにあまりに大量のペーパーワークが課せられているために、授業に割く時間とエネルギーが減退しているためである。

 

 

これについては教育委員会文科省にも言い分があるだろうが、私自身現場の教員として断言できることは、教員たちがいま会議とペーパーワークに割くことを強いられている時間を子どもたちの教育活動に集中できるようになれば、日本の教育問題はとりあえず三割方解決するであろうということである。(略)

 

話を戻すと、問題は(2)と(3)の間にある。

法規と現実の間に齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない。今回の問題は(3)の「度が過ぎた」という点である。「弾力的運用」ではなく、いくつかの学校では必修科目をニグレクトすることが「硬直化した構造」になってしまっていたということが問題なのである。

 

 

「度が過ぎた」せいでシステムがフレキシブルで生産的になるということはない。これは経験的に確信できる。

「度が過ぎる」とシステムは必ず硬直化する。

原理主義の度が過ぎても、自由放任の度が過ぎても、「政治的正しさ」の度が過ぎても、シニスムの度が過ぎても、放漫の度が過ぎても、厳格さの度が過ぎても、必ずシステムは硬直化し、システムの壊死が始まる。

そういうものである。

 

 

最初に文科省からのお達しを聴いて、「これをそのまま現場でやることは現実的にはむりだわな」と判断して、「というわけですので、みなさんここはひとつ私の顔に免じて弾力的にですな、ご理解いただくという」というようなことをもごもご言った人がいた段階ではシステムはそれなりに「健全に」機能していたのである。

 

 

だから、「私の着任以前の何年も前からルール違反が常習化しており、私も「そういうものだ」と思っておりました」というようなエクスキュースを口走る管理職が出て来たことがシステムの壊死が始まっていた証拠である。(略)

 

 

だが、「超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を取ります」と固有名いて引き受ける人間がいる限りにおいてである

法理と現実のあいだの乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその「生身」を供物として差し出す場合だけである。(略)

 

 

これは紛争の超法規的の日本的解決の典型的な事例であると申し上げてよろしいであろう。この調停が成功するのは、和尚吉三が「両腕」を供物として差し出すからである。非妥協的な利害の対立の場合に「弾力」を導入することができるのは生身の身体だけである。(略)

 

 

「これは「正しいソリューション」ではなく、「誰にとっても同じ程度に正しくないソリューション」である。

だが、実際に組織で長く働いてこられた方は経験的によくおわかりだろうけれど、そこから利益を得る人が誰もいないというソリューションはしばしば合意形成のための捷径である。(略)

 

 

法規の弾力的運用が許されるのは、そのような仕方で固有名をもった個人がおのれの「生身」を担保に置く場合だけである。責任を取る気のある人間がいない「法規の弾力的運用」は単なる違法行為である。(略)

 

 

責任を取るつもりでいる人間が自前の「生身」を差し出しているかぎり、常識的に考えてありえないような度の過ぎたルール違反はなされない。「度が過ぎる」のはいつだって「前任者からの申し送り」を前例として受け容れ、その違法性について検証する気のないテクノクラートたちである。

彼らの罪は重い。(略)

 

 

 

 

 

これから先、政治家たちは教育について言いたい放題のことを言いだすだろう。無数の思いつき的な「教育再生案」が現場をとめどない混乱のうちに叩き込むことになるだろう(と、二〇〇六年の暮れに書いたら、その通りになってしまった。ろくでもない予言はほんとうに良く当たる)。」