読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

おとめごころを学ぶ

「(略)

若いライター志望の人に読書上のアドバイスをひとことと頼まれたので次のようなことを申し上げる。

 

できるだけ今の自分と生きた時代も生きた場所も縁の遠い人間の書いた本を読むこと。

世界観も宗教も感性も身体感覚も、まるで違う人のものを読んで、それにぶるぶるっと共振するものが自分の中に見出せたら、その震えは「人間にとってかなり汎通性の高いもの」だということである。

 

 

ある種の書物が歴史の風雪に耐えて何百年、何千年と生き残ってきたのは、そのような共振力が他に比して圧倒的に多いからである。(略)

 

 

古典を読むことで学ぶことができるのは、数百年の時間と数千キロの距離を隔ててなおリーダブルであるようなものを書いた人間の「リーダーフレンドリーネス」である。

私はいつもそれに驚嘆する。

 

 

もう一つ。若い男性の書き手に望みたいのは、早い時期に「少女小説」を読むことである。

若草物語」や「赤毛のアン」や「愛の妖精」をなるべく早い時期に読むことが大切なのは「少女の身になって少年に淡い恋をして」ぼろぼろ涙ぐむというような感受性編制はある年齢を超えた男性には不可能になるからである。

 

 

そのような読書経験を持たなかった少年はそのあとにさまざまなエロス的な経験を積み、外形的知識を身に着けても「前思春期の少女の恋心」に共振して泣くことはむずかしい。

でも、それは物語のもたらす悦楽の半分をあらかじめ失っていることなのである。

 

 

 

「冬ソナ」を見て泣くためにはユジンに同一化してチェンサンに恋をしないといけないのであるが、ほとんどの男性はこれができない。

子どもの時に少女になって少年に恋したことがないので、その「やりかた」がわからないのである。(略)

                  (二〇〇六・七・五)」

 

少女小説の前思春期の少女の恋心に共振することが、物語のもたらす悦楽の半分にあたる、という言葉にびっくりしました。

私のように、少女小説しか読めない人というのは、問題だと思いますが。